福良雀の日記

2018年12月27日(木) もうじき新年

今年は入院というイベントが10月末〜11月にあった為に色々先行して動いた。

その一つが年賀状

すごいよ
10月中旬には注文済んでました。
印刷屋さんの割引率が一番良い時です(*'▽')

ここ4〜5年は会社と家族の宛先印字を私が一手に引き受けています

印字出来るところまでに持っていくのが地道で気長な作業。


退院して仕事に徐々に復帰して、そう言った事も片手間でせっせとやってたんですが。


椅子に長時間座るのがつらいんじゃ



手術の切り傷(?)が腰と尻の間なので端っこの何センチかはいすにしっかり
あたるのです

ああ、体重が重いってこんな所でも自分を苦しめるのよね。


しかも退院後気が付いたんですが

体力が思ってた以上に激減
しゃべる言葉が思った以上に出てこない(頭が動いてない感満載)
集中力が途切れやすい

などなど・・・・。


なかなか年賀状に取り組めなかった

と、言う中・・・・

やばい、年賀状の受付が始まった!


12/15の段階で会社の宛名整理が半分も終わってない

家族、全然終わってない


毎日の仕事も遅くなってる



やっべぇ・・・。


だからと言って残業はできない。なぜなら

足が痛いから (*'▽')


体が(色んなことを)許さない環境で焦りと闘いながら支度を進め、なんとか昨日(12/26)投函できました


会社の年賀は一文書くことも忘れずに


・・・・・・あれ?自分の年賀は?

いえいえ、宛名は一緒に出しました
私ここ数年ほぼ固まってるので作業は無かったからすぐ印刷出せるのですよ


一文書いたかな??(;'∀')



記憶が定かでない



印刷しただけの年賀状で届いてしまったら


悪意はない!(威張る事でもない)



2018年12月20日(木) 退院して26日目

昨日になりますが、退院して初の検査に行ってきました

特に異常は見られないようです

ひざの痛みも筋肉の突っ張りが取れれば自然になくなるそうで

「湿布出しますか?」と聞かれましたが断ってきました


肌荒れがすごいんじゃ


それはともかく


地元は豪雪地帯に近いところにあります


雪はそれなりにちらつく程度の地元ですが、車で1時間もいかない豪雪地帯はここ最近ほぼ毎日雪です


病院に行くにはそう言うところを通過しなければなりません。


どこに行くにも県境に必ず峠があるんですよ。



早朝、病院に向かって出発すると漏れなく路面が凍結してるという怖い思いを味わいます。


そんな状態で峠越え。


おばさんにはそんな丹力無い



考えた挙句、前乗りすることにしました

イベント以来です。(*'▽')


夕方地元を出発。

2時間近くかけてホテルに到着しました



・・・・まぁ、夕方に走っても雪、じゃんじゃん降ってましたが。

自動車道は下道に比べると除雪と凍結防止剤をちゃんとしてくれるので80キロ出して雪道走りました。


怖い(/ω\)


まぁ、朝の凍結道を80キロで走るよりはましかな


無事についたその足で夕食を取りました。


おしゃれ居酒屋みたいな所でして、回ってるすし屋と同じ注文形態(パッドをポチって注文)


サイズ感が解らなかったのでサラダでちょっと量的失敗をしましたが全体的においしかった。

釜揚げうどんをハーフで取りましたがこれが殊の外おいしかった(*'▽')


それから部屋にあがったんですが


前乗りを決めたのが行かなければいけない日の午前中でそこからホテルを探して決めたんですが・・・



何を慌てたか。


セミダブルかダブルで部屋を探したはずなのに


ツイン取ってた ( ゚Д゚)


ベットが二つどうしろと?


・・・・まぁ、いいんだけどね

朝食込みで7500円だったんで。


こういううっかり、やりやすい年になったよなぁ(;´Д`)



2018年12月14日(金) そういえば(*'▽')

入院ネタですみません

今は乾燥による傷口のズキズキ感とひざの痛みに耐えているところです。

ああ、いや、現状でなくて、入院中の事です。


入院準備に持って行った荷物がでっかいスーツケース1つに旅行に持っていくでっかいボストンバック1つ、あとは長物(杖と靴ベラとマジックハンド)を入れるための巾着を作ってそれにひとまとめに持っていきました

合計3つ

3週間、地元から離れて生活(入院)するのででかい荷物になりました。

そんな生活の中、洗濯するし部屋に設置されてる棚は外から見える所が便利に使える。売店で買い物もするけど大金を持ち込まないのがルール(退院時の支払いですか?クレカ払いです。お迎えの際家族に持ってきてもらいました)

そんななので生活関係をなるべく見せないように努力するために巾着やらポーチやらがま口やらをたくさん持っていきました・・・・・・手作りの。



私プロデュースの、手作りラインナップ!


の、ツールバックやら巾着、ポーチがま口にエコバック・・・・。7〜8個くらい持って行って目隠しとして利用してました。


作品としてはオンボロですが、

まぁ、使用した  ぱんてぇ〜  やら 靴下 とかが散乱するよりよほど目に優しい。(*'▽')


小銭がむき出しよりは人の心を乱さなくて済む。


自分が管理する薬が散らばらずに、生理用品云々も・・・・


てか、動けるようになってから本当に思いましたが。


人が入ってくるのを気にして普段の生活送るってすごい気を遣う。


普段、洗濯物を床やらベッドやらに散らかしておくワケではありませんが

うっかりしてる所が多いことを思い知りました。


そういえば


当たり前ですが


入院中、生理が来たのが本当に厄介でした。

私1か月近く生理が続くのですよ (/ω\)


一袋持って行ったのに、全部使い切ってさらに売店で購入しました。

まぁ、動けない時期(おむつ当ててた時)にならなくて良かった〜って思いますが。

さすがにああ言うのを始末させるのはちょっといやよねぇ



2018年12月03日(月) 伸びたの?(´・ω・`)

なんという事が無い事ですが

親が小さい頃の子供や孫の身長を図って壁や柱に計測のしるしをする
と、言うのはよく聞きます。

今日、それをやってもらいました

私が


小さくはないばばぁだが、測定者は母なのでいいだろう(母は150センチ)


161センチ超えの娘の身長を母(150センチ)が図ってくれるこの貴重な体験(大爆笑)


事の発端は姉が私の入院中のお見舞いに言った一言

「おまえ、絶対身長伸びたって」

んなわけあるかい。


一個前の日記で術後の悲痛をつれつれ書きました。


手術をしたのは左足の股関節です。

病名を正確に書くなら

左股関節変形症

生まれた時からこの年まで長いスパン変形した股関節とお付き合いしてきました


それを取り除いて(骨)人工関節にしたわけです。

その際、今まで左右で4センチほど長さが違ったのを揃えてもらい、内側に入りすぎてた角度も多少調整してもらった。

ので、今足のツッパリ感がハンパないって


今まで収まってた袋の中に4センチ分足したものを無理やり詰めてる感じ+足の着地点が慣れない感じ


そんな手術が終わって姉が私を見るたびに

「おまえ、絶対身長伸びたよ」で、ある



母までが「そうかもね」と、言うので測った訳である



あるわけないじゃん


足の長さを揃えてもらっただけなんだから161センチのまんまだよ


測定の僅差で162センチだった事もありますがまぁ、161センチで自己申告



測ってみると母が

「ん??16...4.5??164センチ?ちょうどって事はないわね」


150センチの人に160超えを見てもらおうとしないで


164.3センチありました



一気に2センチ身長伸びました。


すっげぇ、こんなおばさんが成長期(物理)


一度正式に測ってもらいたい



2018年12月01日(土) 本当につらいのは術後2日間(術後日記です)

貯血・・・

術前に血を抜いて手術後に戻してくれる・・・

そんな事を10月中旬に行い、その月の月末(10/31)に手術、夕方に戻されました。

手術を終えて3週間と3日後に退院をしてまいりました!

右腕に点滴用の針を刺されていたのですが

それがなんと2本。

手術前に

背中に管を差してしばらく刺さりっぱなし

とか

術後に寝返りが自由に打てない


などなど、決心を固めねばならないことがたくさんあったのに


術前に

 浣  腸  を、されたり

点滴の針が2本とか

飲食一切丸一日以上禁止とか


つらい事はまだ山盛りあった。


けど、それらは手術を受けると決めた事を後悔する要因にはならなかった


術後・・・それはぬるりとやってくるんですよ


***術後の周辺ラインナップ***


術後酸素マスクが邪魔

短いスパンで行われる検温と血圧測定の為に腕につけっぱなし

心電図のコードが胸回りにまとわりついて

指には脈拍を図る計測器

背中に麻酔が切れた後痛み止めに使う管

術後の傷口に血液が中にたまらないようにする管

尿道に管

点滴と自分の血を戻される

足には血栓ができないようにエア圧でマッサージできる布帯が巻かれてる


一番不自由だった時のフル装備↑


一ミリも動かせない

夕方の4:30には意識を取り戻したので何もない所で人の気配と痛みでうつら・・・とは出来ても寝られるわけがなく。

「痰は吐いてくださいね。一応吸引機は用意しておきます」


・・・・痰??

風邪の時も上手く出せないのにどうやって??

そもそもなんで痰??


何を言われても良くわかってないし、

けど探求心(ツッコミ)もないので「はい」としか返事しなかった


後から知ったけど術前に
「麻酔の吸入器を管で入れるので口の中とか喉とか痛いですよ」と、説明を受けていたらしい。


術前に



じゅつまえに( ;∀;)


あのですね。
入院は手術一日前からだったのですが。

手術の件について説明されてたし、紙ももらったんですよ。

紙に書かれたことは理解できたんですよ(その割に痰と吸入器の関係は忘れてたけど←紙に書かれてた)


口頭説明が8割くらい理解できてなかった当時 (^_-)-☆


なんせ地元で受けなかったもんで(手術)


お隣の県に遠征で手術・入院です


方言が違うですよ。

先生は標準語だったし、あんまり会話もしなかったけど

看護師さんは普通に方言で話しかけてくるので


(´・ω・`) 何言ってるの?


って事がたびたびありました。

そのうえ手術前の緊張でしょ?聞き逃しも多いし。


一つ取ってもボケかましてるのですよ。

情報処理が追い付いて来たのが術後翌日(11/1)でした


多分ね、頭が追い付いてない方が考えを深くできないから良かったんだろうし
看護師さんが何を言ってきても「はい」だけを脊髄反射で言ってられたと思うんだ・・・


だんだん不自由な体が理不尽に思えるんだ

点滴が終わると流れる警告音とか、廊下の音とか、話し声、お見舞いの人の話し声とか、耳に付くんだ


ちくしょう!!!←理不尽に当たってるってわかってる所まで含む


けどね?


動けないときに看護師さんが

「体とか背中、拭かせてくださいね」とか

管が入ってるおしっこのパックに集まってる物の始末とか

傷口の血液を採集兼ねて持って行ってくれるとか


そんなの何度かお世話になるたびに



ごぉおおめんねぇぇええ!! (*´Д`)マジごめん!!


こんなおばちゃんの醜いムダ毛がぼうぼうの体の世話をさせてごめん!!
尿とかごめん!!

おむつとか付け替えさせてごめん!!


なんて事が半日で大量に押し寄せるともう、本当に何も言えない、言っちゃならん。


それでも手術が終わって2日後が一番つらかった。

看護師さんが検診に来てくれるときとか、配膳をしてくださる方とか、掃除をしてくださる方とか、その時々でお願い事をして身の回りにあってほしい品物を入れたバックを取ってもらってから後、携帯もできるようになったし、入れておいた3DSLLでゲームもやってたし、見られるように移動してくれたTVも見たんですが


もう一切そういうのに心が動かされなくなってきたのが2日目

11/2が一番地獄でした

体が一ミリも動かせない。
出来た尚はリハビリの人がマッサージしてくれた時だけ

TVチャンネルが地元より少ないのも拍車

ゲームはもともとやる気がなかったし

ケータイは電池切れを恐れてあんまり使えないし


とにかくもう何もする気が起きなくて

そのくせ色んな所が痛いから(何が痛いのか分からないけどとにかく両足)

気持ちがふさがるし


そのうえ

本来午前で外してもらえる

背中の管
傷口の管

が、午前を過ぎようと言う時間になってもしっかり体の装着されてた。


他の管やら点滴やら心電図は看護師さんが取ってくれたんですが

「すみません、最後のこれらは先生じゃないと取れないのです」とか。

で、その先生は

「救急が入って、そちらの処置が終わってからじゃないと来られないと」

うそだろ・・・・


あたい、11/2から歩く運動できるんだよね??

昨日来たリハビリのお兄ちゃんからそう聞いたぞ???


午前中、マジ泣きしそうなおばさんでした。


が、

別のリハビリの人(女性)が

「そうなんですか?でも、今日外れるんですよね??明日から(11/3)2日間リハビリはお休みになっちゃうんで、今日何としても患者さんを動かしてあげたいんですよ。」

と、言ってくれた時に

午前中、マジ泣きしそう(2回目)


「わかりました。でしたら先生の処置が終わったら(尿以外の管を外す)一度私に連絡ください。もう一度リハビリに参ります」

と、言ってくれた

良い人でした。( ;∀;)

看護師さんから「わかりました、先生がいらして外れたらご連絡します」と言質を引き出してくれたのでおばさん、涙をこらえて待てましたよ


結果として午後一くらいに先生が処置してくれて、リハビリの方がその一時間後にもう一度来てくれて

「とりあえず土曜日と日曜日のお休み前に歩くところとトイレの入り方だけ覚えちゃいましょう」と、訓練してくれた


歩く前にベットの上で足をどう移動させ、歩行器にしがみつくか、
歩く前に足踏みをして自分が今から歩くんだよと教えてあげてくださいとか、

手術受ける前には当たり前に出来てたことが何一つできなくて。


足って自力で動かせないとあんなに重いものだと知らなかった


やっちゃいけない事だけは何度も言われて

やっとでベットから降りて(リハビリの方の介助付き)歩行器に手をかけるまでは問題はなかったんですが(右足は普通に使える)


足踏みが問題



左足に力が入らずにがくんと崩れる始末


その際、「病衣」がパジャマタイプじゃなくて浴衣みたいなので

支えるために持つのが おむつ でした


なんか、うんそうだよね。そこしか掴めないよね。

なんか屈辱 ( ;∀;)

その日に自力でトイレまで行けるようにしたので(看護師さんの手助けを借りたのは1回だけで済みました)管も取ってもらい、体がやっとで自由になりました



その時思ったのが


人間は動くために作られとる


でした。


自由に動く体って素敵ですよ。


・・・まぁ、自由ってのには程遠くはなりましたがね(´・ω・`)


こっから自堕落生活が始まるわけです(^_-)-☆


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福良雀