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2006年10月25日(水)
書店のトイレに「引きこもる」人々

「書店繁盛記」(田口久美子著・ポプラ社)より。

【ジュンク堂の女子トイレには「長時間のご利用はご遠慮ください」という趣旨のポスターが貼ってある。時々首をひねりながら読んでいる女性や、「なにこれ?」と笑いながら指をさしている二人連れを見かける。私だってよその店で見かけたら不審に思うだろう。
 かなり前のことだが、『本の雑誌』で「書店に行くとどういうわけかトイレに行きたくなる」という投書が話題を呼んだことがあった。共感・反論の葉書がかなり寄せられて、紙面をにぎわせた。当時私は百貨店勤務だったので、たいした実感もなく「たわいもないこと」などと思っていたのだが、書店ビルに勤務すると「いや、根拠がないこともなかったようだ」などとしきりに思うようになった。
 書店とトイレには怪しい関係があるに違いない。その極端な形が「ひきこもり」だ。
 ポスターを貼って警告するなんて、ひきこもっている当人が気の毒ではないか、きっと心に病を抱えているのだろう、出たくでも出られないのだ、などとちょっと迷ったりもした。しかし、数時間も占拠されるよとちょっとね。それに心ゆくまで「よそんち」のトイレにひきこもって、その病気が(私は病気だと思う)治るのだろうか。「その人は行く場所を間違えていますよ、トイレじゃなくて病院へ行ったほうがいいですよ」と逡巡する私の背中を売場の社員が押してくれる。

(中略)

 思い起こせば何年か前にも「ひきこもりオネエサン」がいましたね。あれは二代目の店長の山下繁のときだったから、2001年の増床より前だった。

(中略)
 あの頃私は1階が常駐フロアであった。女子トイレは3階で、一日に数度はお邪魔する。ある日ふと気づいたのだが、個室の隅にコンビニ弁当とお茶のボトルのカラが置いてある。一度目はアレっと思った程度だが、何日か続くと気になる。何でしょうね、トイレで食事とは。清掃員に聞いてみた。「気づきましたか? ここのところ毎日のように閉じこもるひとがいるんです。長いときには半日」「えっ? そんなに長く、何をしているの?」「知りません。いつ行っても掃除ができないんで、ドアを叩くんですが、返事がないんです。お昼ごはんだけじゃなくてタバコも吸っているらしくて、煙が出ているときがあるんですが」「姿を見かけたことは?」「はっきりとは分からないけれど、もしかすると、という人はいます」
 店長の山下と相談して、いろいろ事情はあるかもしれないし、きっと哀しい人なのだろうが、とにかく出て行ってもらいましょう、ということになった。次にこもっていたら知らせてください、と清掃員にお願いした。
 翌日か翌々日には「発見」の連絡が入った、と思う、とにかくそんなに日をおかずに「来襲!」とあいなった。開店してすぐに入った女性(多分)が1時間以上も出てこない、ということだ。山下と私はとにかく駆けつけた。山下は「すみません、僕は入るわけにいかないので、田口さんが」と、すがりつくように言う。まあ、そりゃあそうだろう、と思いながら、こんなときはどう言えばいいんだろう、と考えあぐねるのだが、どうしたっていい答えは思いつかない。なんといっても特定の方法がないのだ。誤認だったらどうする? トイレにこもるのは「犯罪」ではないし。
 清掃員は時々ドアをノックしたけれど、反応がない、と個室に聴こえるように言う。もう2時間近くですよ、と。私は「中でタバコを吸っているって、本当?」などとこれも大きな声で言う。「困りましたね、警官を呼びましょうか」とわざとらしいことを言う。個室は相変わらずシーンとしている。「すみません、清掃の時間なので出ていただけますか」と清掃員はドアを叩く。シーン。
 もう少し様子をみましょう。変化があったら連絡してください、と清掃員にお願いしていったん引き上げた。こんなことばかりに関わっているわけにいかない。「でも何とか今日中に解決したいですね。何かいい案はないでしょうか」と山下と顔を見合わせるのだが、いい知恵など出ようがない。知恵より「彼女」に出てもらわねば。
 しばらくして「どうも出る気配がある」という連絡が入った。身体はおっとりがたなだが、頭はなんて言ったものやら、という状態で駆けつけた。ちょうどトイレから出てきた「彼女」と入り口で鉢合わせをした。「彼女」の向こう側で清掃員が指をさしてうなずいている。歳の頃は30代前半で、髪を肩までたらし、黒ぶちの眼鏡をかけたちょっと小太りの「彼女」であった。
 頭がまとまらないまま、「すみません、トイレに長時間こもっていられると困るんですけれど」と直球で言ってしまった、かなりきつい調子だったと思う。「私じゃありません」と「彼女」は逃げの姿勢に入りながら答える。ここで逃げられたら、また来るかもしれない、と私は必死だ。いや「彼女」のほうがもっと必死だったようで、書棚の向こう側に逃げようとする。清掃員は盛んに指を指して「間違いない」というような合図を送る。「タバコを中で吸っているようですが」「だから、私じゃないです」と背中をみせながら「彼女」は怒鳴る。「こんどみつけたら、警察に行ってもらいます」と私もその背中に怒鳴る。
 あっという間に「彼女」は去ってしまった。以来トイレは平穏に戻った。「彼女」はもっと気に入った「トイレ」を見つけたのだろうか。

 今思い出しても明るい話題ではなかった、としみじみ思う。
 今回のポスター騒ぎは「彼女」の再登場だろうか、という疑念がつきまとう。だが正体は突き止められないままになっている。とりあえずポスター効果があったのか、長時間の占領も止んでいる。
「彼女」の話を某大学出版の編集者にしたら、「ウチの大学では何人か常連さんがいるようですよ」と怖い答えが返ってきた。三年前に入社した社員に話したら、「私はアメリカに旅行したとき、マクドナルドのトイレに入ったら、個室に女の人がいて「ウェルカム」って言うんです。周りには生活用品が置いてあって、どうも住んでいるみたいで」こうなると個人の病というより、社会の病のようだ。
 どうも「書店とトイレ」というよりトイレそのものに「魔」が住んでいるようだ。昔の人が「厠」の方角を気にしたというのもわけがあるに違いない。
 最後にひとこと、トイレに携帯電話を落としたら、黙って帰らないで、すぐにお知らせください。】

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 「ジュンク堂」池袋店の副店長であり、書店員として30年以上のキャリアを持つ田口さんが「書店員という仕事とそこで働く人々」について書かれた本の一部です。
 僕もときどき「ジュンク堂」を利用するのですが、少なくとも僕が行く福岡店に関しては、「あのトイレに引きこもろうとは思わない」です。トイレそのものも、「個室」も狭いし、正直、あまり「清潔」でもありませんし。
 「(書店として)売場面積日本一」のジュンク堂・池袋店には、福岡店よはもう少し広くて立派なトイレがあるのかもしれませんが、それでも、トイレというのは書店にとっては「無くては困るけれども、売り物になる場所ではない」でしょうから(むしろ、万引きの温床になりやすいそうですし)、少なくとも一般的には「すごく居心地のいい場所」ではないはずです。そもそも、「ジュンク堂」なら、座って本が読めるスペースがかなり広く設置されているはずですから、わざわざトイレに篭らなくても、という気がするのですが、この文章を読んでいると、こういう人は、この「彼女」だけではないようなんですよね。
 「某大学には何人か常連さんがいる」そうですし、アメリカのマクドナルドには「住んでいる人」もいるのだとか。本屋であればトイレで本を読んで時間も潰せるでしょうが、マクドナルドのトイレで、どうやって生活しているのでしょうか?うーん、僕には想像もつきません。

 僕もトイレで本を読むことはありますし、仕事に煮詰まったときに昼間に当直室に篭って本を読んでいて、外から清掃員さんにドアをノックされまくって気まずい思いをしたことがありますから(あれって、出てこい!って強く言われるほど出て行けないものなのです、本当に)、そういう「狭い空間に篭る快感」みたいなのはわからなくもないのです。それでも、トイレで食事をしようとまでは思わないけれど。
 それこそ、引きこもりたければ家に引きこもればいいし、それでも家の外で弁当を食べたければ公園に行けばいいし、昼間に行くアテが無いとしても、図書館のほうがまだ気が利いているような気はします。

 そう考えてみると、おそらく「仕方なくトイレに篭っている」というよりは、「トイレの個室の中にいるのが、いちばん快適だと感じている人」というのが、かなりの数、存在しているということなんですよね。それも、洋の東西を問わず。そう考えると、確かに、トイレというのは、「特別な場所」なのかもしれませんね。自宅のトイレじゃダメなんだろうし。

 しかし、他のお客さんや書店側としては、混雑しがちな女子トイレの個室を占拠されるのは困ったものでしょうし、タバコまで吸われては防災上も問題があります。でも、「トイレに篭ってはならない」という法律があるわけでもないし、篭っている人も「ワケアリ」なのでしょうから、退去していただくのも「辛い仕事」ではありますよね。好きな本を売ってお金を貰えるのだからいい仕事だよなあ、なんて考えがちなのですが、書店員には、こんな「力仕事」もあるなんて……