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2006年05月03日(水)
衝撃の「レディーボーデン」

「ももこの話」(さくらももこ著・集英社文庫)より。

【つい先日、スタッフの多田さんが「初めてレディーボーデンのアイスを食べたときは感動でしたね」と言ったのをきいてハッとした。忘れていたが、私もレディーボーデンのアイスに衝撃を受けたくちだ。あれを初めて食べた時、私は西洋人の豊かさを初めて体験として知ったといえる。まるで夢のようにおいしいと思った。レディーボーデンという名前も、今まで食べていた『○○チョコ棒』とかただのバニラとか、そんなのと違って全く聞き慣れない未知の世界からの美しい響きを感じさせた。レディーボーデンのCMもよくできており、「♪レディーボーデン、レディーボーデン」という女の人の歌声がクラシックのような格調で流れ、画面には何種類もの味のアイスクリームが現れ、大きなスプーンであのアイスクリームをすくうとことがアップになる時、「あ〜〜おいしそう、食べたいよぅ」という思いが炸裂するのであった。
 レディーボーデンが買ってもらえることなんて、クリスマスか正月か、あとはよっぽど何かめでたいことでもあった時にしかなかったので、単に暑さしのぎに飲んでいるコーラの中にそれを浮かべるなどというのはどだい無理な話だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もレディーボーデンのアイスに衝撃を受けたくちです。
 さくらさんは僕より少しだけ年上なのですが、今から25〜30年前くらいの時代には、「レディーボーデン」というのは、まさに「憧れの高級アイス」だったのです。イベントか病気でもないと、食べられない幻のアイス。
 あのクリーミーな味わいは、当時駄菓子屋さんで僕たちが買えたバニラアイスやソーダアイスなどと比べたら、まったく異次元のものでした。
 まさに「西洋人の豊かさの象徴」だったんですよ、レディーボーデンって。僕も、死ぬまでに一度くらいは、あのレディーボーデンの大きな家庭用カップを1個まるごと一度に食べてみたいものだと切実に願っていたのです。おやつの時間のときにお皿に盛られるレディーボーデンは、あまりに量が少なすぎて、皿まで舐めたいような気持ちでした。今は、ハーゲンダッツなども一人分が小さなカップに入っているのが主流なのですが、当時は大きなカップしかなかったものなあ。
 ごくまれに、レディーボーデンが家の冷蔵庫に降臨した際には、僕たちはなんとなく落ち着かない気分になったものです。
 夜中にこっそり「少しだけ」食べるつもりが、「もう一口」が高じて、あからさまに減ってしまって焦ったこともありました。
 そういう意味では、やっぱり「時代というのは変わっていくもの」なのだなあ、とあらためて感じます。僕は子供の頃、親たちが「バナナを1本丸ごと食べるのが夢だった」なんて語るのを「ふーん」と半分鼻で笑いながら聴いていたのですけど、今となっては、この「レディーボーデン伝説」も、子どもたちにとっては、「昔の日本は貧しかったんだなあ」とか思われてしまうエピソードなのかもしれません。

 今は、「レディーボーデン一気食い」も経済的には可能なのですが、さすがにもう、それを実行できるほどのアイスクリーム欲もイキオイもないし、夢は夢のままにしておくほうがいいのでしょうね、きっと。
 やっぱり、血糖値も気になりますし。