ヨーロッパ合唱公演から帰ってきて、団員用のサイトでは、それぞれが非公式に写したスナップ写真を投稿している。 現地での練習風景、半日観光で廻ったシェーンブルン宮殿や、モーツアルトの墓の写真、演奏後の打ち上げパーティ、空港風景など、さまざまだが、絵はがきにあるような、ただの物理的な写真よりも、そこに、人物が入っている方が、親近感があるし、参加者の興味を惹く。 特に、指揮者やソリストなどと一緒に写した写真は、人気があるようである。 演奏後のパーティだからカメラを持っていなかった人も多く、人が撮した、思いがけぬ自分の姿を見て、驚いたり、反応はさまざま。 DVDやCDを作るために、プロのカメラマンも同行したので、いずれ、集合写真などは、プロの手で焼き増しされて、有料で買うことになるだろうが、シロウトが、撮したものは、できあがりがまずくても、人間的で、記念になる場合が多い。 これらシロウトカメラマンの撮ったスナップ写真を眺めていると、面白いことに気づく。 有名人の傍に必ずいて、どの写真にも、必ず入っている人が、何人かいることである。 合唱団員ではないが、家族として同行した人、120人の団員数なので、顔と名前の一致しない人もいるが、なぜか、誰のカメラであろうと、写っている人。 「私の写ったのなんて全然無いわ」と言ったら、夫が、「目立つ人の傍にいなけりゃ、ダメだよ。必ずみんなが撮ることを意識して、そういう人は、最初から、そこにいるんだよ」という。 なるほど、と感心した。 シュテファン演奏後のパーティには、大司教、向こうのオケのメンバー、ソリストや合唱団の人も、来ていたが、私は、遠くからそれを見つつ、周りにいる人たちとの、交歓に余念無かったのである。 カメラのことなど、全く意識になかった。 自分のパートであるアルトのソリストには、ちょっと話がしたいと思って、近付こうとしたが、周りに人がいっぱいで、出来なかったのである。 取り巻きがいたんだ、代わる代わる写真を写していたんだと、今にして初めてわかった。 「この人、歌ってもいないのに、何でいつも、真ん中に写ってるの」というと、「心構えが違うんだよ。いかにも、写真に撮られるポーズになってるだろ」と夫が言う。 そういえば、ほかの人が、カメラのあることに気づかず、横を向いたりしてるのに、その人は、いつも、カメラ目線に向いている。 「日本での練習には、存在感なかった人が、よく写ってるわ」というと「人それぞれ、いろんな能力があるからさ。写真にくまなく写る才能というのも、あるんだよ」と夫が笑った。 たかだかシロウトのスナップ写真。 でも、一枚の写真の何と饒舌なことか。 次々とアップされる写真から、今度は、どんな物語が見えるだろうと、楽しみである。
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