沢の螢

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物忘れまた一つ
2005年10月27日(木)

ことばが出てこない哀しさについて、以前からあちこちで書いているが、こういうことはこれから増える一方であろうから、「我がもの忘れの記」とでも題して、そのうち、自費出版しようかと思っている。
同病相憐れむではないが、案外とベストセラーになるかも知れぬ。
・・と言う冗談はさておき、昨日から、どうしても出てこない人名があり、一日たって、ヒントになることを思い出した。
詩人、翻訳家、ポール・ギャリコの「雪のひとひら」を訳した女性。
この本は、私の愛する本のベストスリーに入る。
原作は勿論いいのだろうが、訳した人の日本語の文章が素晴らしい。
いつか、ミニスカートで足を組んで、まるで少女のような不思議な表情をしたセルフポートレートを、何かで見たことがある。
ここまでわかっているのに、人名が出てこない。
こういう場合、検索すれば簡単なことはわかっているが、何とか、自分で思い出そうとして、丸1日逡巡した。
でも、もう無理だと諦め、グーグルで「雪のひとひら」で検索した。
たちどころに見つかったその名は、矢川澄子。
渋沢龍彦と結婚していたこともある。
2002年、自宅で縊死。
セルフポートレートに写った美少女は、当時、36歳。
亡くなったときは71歳。
これ以上長く生きる人ではなかったのかも知れない。
彼女が亡くなったとき、私は少なからぬショックを受けて、当時、矢川澄子について、いろいろ調べたりしたのに、いつの間にか忘れていて、検索で、思い出した次第。
ところが、なぜ、矢川澄子の名を思い出そうとしたかの動機については、忘れてしまったのだから、どうしようもない。
自身の生活が、詩的情緒とはかけ離れた、リアリズムに満ちているせいか、こうした人のことも、記憶の底に沈んでしまう。

記憶と言えば、先日のモーツァルト「レクイエム」の公演は、全曲暗譜で臨んだ。
もう若くない私たちが、一時間近くもの曲を暗譜する方法はただ一つ。
繰り返し、反復練習するしかない。
考えなくても、口からメロディが出てくるまで、繰り返し、歌って覚えるのである。
学生時代に一度、40代で一度、この曲を練習し、ステージで歌っているが、いずれも、楽譜持ちだった。
楽譜を持っていても、ほとんど見ることはないのだが、持っているだけで、安心感がある。
しかし、今回は、楽譜は持たず、文字通りの暗譜である。
心配していたが、新しい曲と違って、過去に1,2度歌った経験は無駄ではなく、メロディは頭に入っているし、オーケストラが鳴り出せば、どこの何ページとわからなくても、自然に自分のパートが出てくるまでになった。
23日は幸い、いい天気。
私は最前列のアルト、隣はテナーである。
滅多に履かないヒールの靴で、休憩無しの演奏だったため、直立不動で、死ぬほど足が痛かったが、歌の方は、ほとんど脱落することなく、歌い切ることが出来た。
私が直接声をかけたうちの1人は、演奏終了後にロビーで会うことが出来、もう一人は、翌日、電話をくれた。
親類、夫の友人達も、メールで、感想をくれた。
あとの人は、来たのか来なかったのか、音沙汰無しである。
今回は、無料で、客の全員は招待という趣旨である。
申し込んで、来なかった場合もあるので、言い訳をしなくて済むよう、こちらからは話題にしないで置く。



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