男の人を、美しいなと思うことが、ホンのたまにある。 残念ながら、そう思うことが、だんだん少なくなっていくのは、時代が、あまりに索漠としていて、行き交う人が、 険しく、卑しく、疑い深い顔をして、すれ違うようになったことかも知れない。 それは、男の人が街中で女性を見たときも、同じように感じるのではないだろうか。 「最近の女性は、みな、コワイ顔をしてるね」と、連れ合いが言ったことがある。 今日はテレビで、ほれぼれとするほど、美しい顔をした人を見た。 無言館館主窪島誠一郎氏。 戦没学生の残した絵を集めて、信濃で、「無言館」という美術館を作り、公開している。 今、その展示会が、東京ステーションギャラリーで 開かれているので、NHK昼の番組で、紹介していた。 戦地に赴く直前に描かれ、そのまま帰らぬ人となった若い人たちの残した絵である。 氏はあるとき、それらの作品に触れて感動し、ぜひ一般の人たちに見てほしいと思ったようである。 年月を掛けて、遺族のもとを尋ね歩き、絵を集めた。 戦場に赴く直前、あるいは、その日の朝に掛けて、短い間に描かれたものが大半である。 子どもの頃から育ったふるさとの風景、可愛がってくれた祖母、秘かに恋心を抱いていた女性の姿。 「こういう絵を、反戦や平和の象徴のようにとらえる見方がありますが、この人達は、そんな絵は一枚も描いていません。 みな、死を目前にして、自分が心の中で、一番愛していたものを、心を込めて描いたのです。 それをぜひ、見てほしいのです」と語る窪島氏の表情は、キラキラとして、絵の作者の心を体現しているかのように、 澄み切って美しかった。 魂のこもった、生きた顔の美しさとは、こういうものではないかと、見とれてしまった。 美しいものに触れていると、人は磨かれていくのだろうか。 こうした感じを持ったのは、4半世紀前にもある。 映画監督小栗康平。 「泥の川」という始めての映画を製作し、話題になったとき、やはり、この人がテレビで語るのを見た。 30代半ばの若さだったと思う。 見ていて、美しいな、こんな人と一緒に暮らしてみたいな、と思ったくらい、惚れてしまった。 「泥の河」に流れる、人間を見る視線の暖かさと非情さ。 忘れられない映画の一つだ。 男の顔に惚れるという経験は、何十年に一回くらいのことである。 今日は、図らずも、久しぶりにその感じを味わった。
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