都心から郊外に向かう始発駅のプラットフォームは、やや込んでいた。 私は3人ずつ並ぶ列の、一番前にいた。 となりは私より年配の婦人。 「込んでますね」と話し掛ける。 席に座れるかどうかを、心配しているのだった。 「まだ通勤客が帰る時間帯だから、座れないかも知れませんね」と私は応え、滑り込んでくる電車の方角に目を向けた。 並んでいる列の少し離れたところに、小学校高学年くらいの男の子が立っていた。 乗るつもりなら、どうしてちゃんと並ばないの、と私たちは思った。 東京の主要駅の、乗客が電車を待つルールというのは、かなり定着していて、ことに朝の通勤時間帯のそれは、見事なものである。 数分おきに到着する電車。 乗る人は列を作って待ち、1台発車すると、次の列がさっと隣に移動して、電車を待つ。 私はたまたま、この時間に乗り合わせて、そのルールを知らず、面食らったことがある。 最初は、駅が主導して、はじめたことなのだろうが、やがて、誰も何も言わなくても、その時間帯は、乗客が、自然にそのやり方で、整然と電車に乗り込み、発車する。 一台逃しても、直ぐ次が来ることがわかっているし、先を争って乗るよりも、この方が、早く、なめらかに行くことを、みなが知っているからだろう。 日本人の知恵。 世界に誇りたいくらいだ。 ただし、通勤時間帯とその乗客に限った話で、それ以外の場合は、時に、暗黙のルールを破る人も、少なくない。 さて、電車がフォームに滑り込んで、列がドアに向かって近づいたとき、最前列に並んでいた私たちのそばから、いきなり前に割り込んできた人間がいた。 離れて立っていた少年だった。 私ととなりの老婦人は、顔を見合わせた。 「ずるいわね」と二人とも思った。 並ばないで、割り込むつもりねと、暗黙のうちに、共同戦線を張り、黙って、その少年の行く手を阻むように、前に出て、開いたドアから乗り込んだ。 幸い、二人とも坐ることが出来た。 少年は、私たちに、先を邪魔されたために、一瞬遅く乗り込んだので、もう席はなくなっていた。 私と老婦人は、顔を見合わせて微笑んだ。 「坐れてよかったですね」という気持ち。 それから言葉には出さないが、列に並ばずに、横から割り込んだルール破りの少年を、阻んだという、共通の意識もあった。 老婦人は、ホッとしたように、目を閉じ、やがて、電車は走り出した。 しかし、私は見てしまったのである。 あの少年はどうしただろうと、そちらへ目を向けると、彼は、離れたブロックのドアの付近に立っていた、母親らしい女性に近づき、「ゴメンね」という仕種をした。 そして、その母親は、お腹が大きかったのである。 彼があんな風に、我先に電車に乗り込もうとしたのには、わけがあった。 身重の母親のために、席を確保しようとしたのだ。 母親は、彼に向かって「いいのよ」という風に、やさしく微笑んだ。 老婦人は、そんなことに気づかない。 そうだったのか。 直ぐに席を譲ってあげたかったが、それと知らず、少年の行動を阻んでしまった私は、直ぐに立てなかった。 わかっていたら、並んでいるときに、少年に言い含めて、自分が席を確保した上で、譲ってあげたのに。 かわいそうなことをしたという気持ちが、私の心をいっぱいにした。 人が理解できない行動を取るときは、何か理由がある。 そのことに、思い至らなかった自分を責めた。 身重な母親を庇って、周りの白い目に堪えながら、ルール破りをして、電車に乗り込んだ少年。 いけないことだということは、わかっている。 でも、彼には、身重の母親を気遣う気持ちの方が大事だった。 やがて、譲る人があって、母親は次の駅に電車が着く前に、坐ることが出来た。 少年は、その前に立ち、ホッとした表情をした。 やがて生まれてくる弟か妹。 少年は、いいお兄ちゃんになるだろう。 母親が何か話し掛け、それに笑顔で応えている少年の横顔をそれとなく見ているうちに、しばらく忘れていた大事な物を、見つけた思いがした。
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