沢の螢

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神の手の広げしもの
2003年08月09日(土)

台風が北上しつつある。
東京も、夕べからかなりの雨に見舞われた。
今朝一旦止んだが、昼近くになって、また猛烈な風雨である。
午後からの連句の会に行くことになっていて、しかも捌きを引き受けたので、休むわけに行かない。
家を出た時は、ちょうど雨の一番激しい時であった。
すっぽり隠れる長めのレインコート、長靴で完全武装して、バス停まで歩いた。
激しい風に、何度も傘を取られそうになったが、無事バスに乗り込み、渋滞もなく、幸い電車の遅れもなくて、無事、時間内に会場に着いた。
集まった人は、男女5人ずつの10人。いつもより少ないのは、台風の故か。
二つの席に分かれて始まった。
私のところは男性3人に、女性が私ともう一人。

神の手の広げし秋の夕焼けかな

これを発句に始まった。
これは昨年、あるインターネット句会に出すはずが、締め切りに遅れ、選句外になった句を作り直したもの。
原句は夏で、神の手の空に広げし夕焼けかな という句だった。
この句会は、とても趣向が面白いので、途中まで参加していた。
アドレスが変わり、しばらく知らずにいた。
偶然わかって、参加申し込みをし、6月まで半年ほどまた参加させてもらった。
しかし、7月からまたアドレスが変わったらしく、なぜか私には、知らされないので、今は、参加していない。
残念だが、閉ざされた門をこじ開ける趣味は私にはない。
これも、バーチャルな世界と、現実とを一緒にしたたぐいの、ひとつの現象であろう。
私の周囲にいて、私と親しくしている人たちを片端から誘いながら、敢えて私だけを排除するという、子供じみた「イジワル」な仕打ちをする人というのを、私は理解出来ないが、向こうには、そうせざるを得ない、隠れた理由があるのであろう。
そんなことに遭遇するたびに、つらい思いはするが、逆に、そのことがバネになって、創作上のモチーフになり、また逆境を跳ね返す力にもなるのだから、人生そう捨てたものじゃない。
この一年、そんなことも含めて、私には、理不尽に人から疎外され、拒否されるという、つらいことがあった。
そのための涙も1リットルくらいは流しているが、失ったものより、多分、それで得たこと、わかったことの方が大きいと、今は思っている。
この1年で私の連句は、自分で言うのは変だが、飛躍的に伸びたと思う。
「前とずいぶん変わった」と何人かの人から言われた。
「鬼気迫るものがあったね」という人もいる。
それが何の故かと言うことは、わたしの心の問題だから、人には言わないが、表面だけの平和や、不正義の世界に安住していたら、いまの私はなかったということは言える。
これはひとつの例である。
人間のいるところ、どこにでもある誤解や、嫉妬、軋轢、悪意。
人の目、人の評価はどうでもいい。媚びることもしたくない。
私らしさを大事にし、いつも、いまの自分が一番好きだと思いたい。
人から裏切られても、自分で自分を裏切ることだけはすまいと、こころに決めている。
例えそのために、不利益を被り、つらいことになったとしても、そんな私を理解し、思ってくれる人が5本の指くらいはいるからそれでよい。

今日の連句は、短歌行(24句)の形式でやった。
ゆっくりと丁寧に、5時間足らずで巻き上げた。
7日8日は、江ノ島で泊まりがけの連句会があった。
愉しい人たちばかりの男女17人夏物語は、幹事の献身的働きのお陰で、愉しくいい想い出になる会だった。
台風直前の好天気、折角江ノ島まで行って、泳ぎもせず、海にも行かず、朝から夜中まで連句に浸って過ごした。
今日は、それに引き続いての連句である。
疲れもあって、少しばかり頭の回転が鈍くなっているものの、まあまあ満足のいく出来となった。
夕方6時、終わって外に出ると、まだ少し雨が降っていた。
2人は帰り、あとの8人で駅近くのビヤホールに行って、食事した。
話が弾んで2時間、店をあとにした。
もう雨はすっかり止んでいた。



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