沢の螢

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「農民の歌」
2003年08月02日(土)

梅雨明け宣言は出ていないようだが、今日は久しぶりに晴れた1日だった。
気温も30度を超えるほど。
合唱の練習で、オリンピック青少年センターへ。
連れ合いと私は、大学時代、同じ混声合唱団にいた。
今年は、その合唱団の定期演奏会が50回目にあたるというので、ここ数年、OB、OGの集まりも活発になっている。
毎年秋に、現役団員との交歓会に、何曲かを歌うことになっていて、今年は、清水修作曲の「農民の歌」。
方言がそのまま歌になっていて、それを音楽的に美しく歌うのは、かなり難しい。
アカペラで、リズムがよく変わる。
現役時代も難しかったが、それから40年も経って、声も、リズム感も悪くなっているので、なかなかうまく合わず、指揮者が苦労していた。
午前中2時間の練習が終わり、みんなで食堂の昼食を摂って、散会した。
来年の定期演奏会には、OBにもワンステージどうかという声があって、モーツァルトのミサをやることになっている。
還暦を過ぎる年になり、仕事や子どものことから解放され、また、こういう遊びを愉しめるようになって、嬉しい。

2年前、プロのオーケストラ付属の合唱団に入っていたことがある。
オーディションを受けて、入団したが、あまりに練習がきつく、とても楽しんで歌うところではないと悟り、3ヶ月で辞めた。
毎週一度、夜2時間半の練習の他に、演奏会が近づくと、土日を含め、週3回の練習、しかも、演奏会の度に、出演オーディションというのがあり、それに合格しなければならない。
もちろん原語で暗譜、指揮者や、パートリーダーなどの前で、一人ずつテストを受けるのである。
入団した時、ベートーヴェンの「ミサソレムニス」の練習に入ったところだった。
9月の演奏会に向かって、6月からハードな練習が始まった。
12月の「マタイ受難曲」の練習も併行して始まっていた。
「ミサソレ」のオーディションは、8月の終わり頃。
だんだんみんなの目が血走ってくるのがわかる。
周囲は、みな競争相手なのである。
6月から入団した私たち新人は、最初のステージには、ほとんど出られないといわれたが、何でも経験と、受けてみることにした。
「ミサソレムニス」はラテン語、フーガの難しい箇所がある。
当日は、私は連句の合宿の帰り、リュックを背負ったままの姿で、試験場に行った。
行ってみてビックリした。
皆、数日前から、有料の練習場を借りたり、アルバイトのピアニストを頼んだりして、練習を重ね、試験に臨んでいるのである。
服装からして、違う。
旅行先から、そのままなどという不心得者はいないのである。
さんざん連句で愉しんで、私のアタマは、空っぽに近い状況だったので、試験など受かるわけはないのである。
指揮者が指定したページを、はじめはパート一人ずつの4人で歌い、次に、女性2人、男性2人に分かれて歌った。
中断せずに終わりまで歌ったものの、結果は聞かなくてもわかった。
36人の新人のうち、合格したのは、8人。
私のパートのアルトは2人だけ、いずれも若い人だった。
それから演奏会までの練習は、合格者のみが参加出来る。
「マタイ受難曲」の練習が、そのあとに始まることになっていたが、私は、そこですっぱり辞めた。
3ヶ月の練習で、時間的、肉体的に、厳しさは充分身に沁みたし、連句や他の楽しみとは、とても両立しないこともわかった。
もう少し若ければ、意欲もわいたかも知れない。
他のことを全部捨てるには、私は、欲がありすぎる。
中途半端にやっていても仕方ない、3ヶ月一流の指揮者などから、充分音楽的なものはもらった、これでいいと思った。
すぐに退団届けを出した。
「折角入団テストに受かって入ったのにもったいない。2回3回と挑戦していれば、出演の機会も来るのに・・・」と言われたが、迷わず退団した。
9月、「ミサソレムニス」の演奏会を聴きに、サントリーホールに行った。
大変素晴らしい演奏だった。
合唱の声はひとつにまとまって、完璧に近い出来だった。
私は、観客席から、惜しみない拍手を送った。

それ以後、合唱からは遠ざかっていた。
少人数で、ハーモニーを愉しめるようなところなら、行ってみたい気はある。
時々、調べてみるが、なかなか見つからない。
「モーツアルトのレクイエムをやるからいらっしゃい」と誘われたが、今ひとつ、考えあぐねているところである。



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