不思議っ茶の日記
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| 2002年12月19日(木) |
さくちゃん〜NHK「その時…」を見る |
その時歴史は動いた・・・・ 大変興味深い番組である。
本日のはベートーベンの第九の初演が「そのとき」である。
その時=1824年5月7日。
この頃フランスではフランス革命がおこり、民衆の力によって共和制がしかれた。
身分差別の撤廃と基本的人権を世界に訴えた革命だった。
それに感動したベートーベンは、民衆の力を信じた。身分差別のない社会〜魂の自由な社会を求めていたのだった。
そのころ、シラーの歓喜の歌に何かしらの啓発を受けたような感動を持った。 いつの日がこの詞を作曲しようと思ったのだった。
彼の尊敬するモーツアルトは、宮廷貴族にとっては単なる娯楽のためのタレントにしか他ならない。そんな現実にうちのめされた。 彼が愛情をもった貴族の娘とは身分の壁ゆえに結婚を反対された。
その上、彼を悩ましたのは難聴だった。
しだいに聞こえなくなっていく恐怖との戦い。悩みのどん底でナポレオンの噂を聞いた。さっそうと現れてパリを開放した英雄にベートーベンは勇気をもらい、交響曲英雄を書き上げた。
そのご、彼が皇帝の座に着いたと聞いたとき〜ベートーベンは怒り狂った。
「ナポレオンもただの人間に過ぎなかったのか。 やがて人々の権利を踏みにじり 野心だけを考える専制君主になるだろう」 (弟子フェルディナンド・リースの記録より)
そして、交響曲英雄のタイトルに「ボナパルトに捧げる」の名前を消したと伝えられている。
田園に歩む彼は難聴であっても自然の豊かさの恩恵に心をなごませ、そして思い出した。
シラーの「歓喜の歌」を。
「世のならわしの厳しく分け隔てたものを なんじの力は再び結び合わせる その優しき翼を休めるところ 全ての人々は兄弟となる」
時にウィーンは、保守的な反動体制かにあって、民衆の政治的運動は禁止されていた。
大きな声で話すことも〜手紙も検閲された。
民主主義への弾圧だった。重く苦しい空気のウィーンの市民はしだいに、難しいベートーベンの音楽より、派手な軽い音楽を好んでいた。
交響曲第九。これをどこで初演しよう か・・・
悩んだ。
ウィーンでの初演をあきらめるという噂がながれた。そんな中に一通の手紙がとどいた。
内容は、是非、ウィーンで初演して欲しいという嘆願だった。
集会を開くには前もって当局の許可がいる。秘書のシントラーは、交響曲の内容をしめして、許可を取った。
ただし・・・・
合唱の部分は、申し出なかった。
時が時であってもウィーンの市民は第九の発表に集ってきた。
第一楽章〜〜重い出だしの演奏から入る。 第二楽章〜〜 第三楽章〜〜演奏は続く〜〜哲学的な議論をうちやぶるかのように、人間の苦しみ悩みを、突き破るかのように〜〜
合唱がはじまった。
今まさにベートーベンの生涯をかけた民衆の魂の開放による自由の歌が歌われた。
演奏が終わって、主席指揮者は終わっても指揮を続ける耳の聞こえないベートーベンの肩を抱き、客席を指差した。
その指の向こうに魂の自由を得た歓喜の民衆がいた。
アンコールの嵐〜〜
当局は5回目のアンコールを禁止した。
その二年後彼は死んだ。
「拍手を送ろう 喜劇は終わった」
それが、最後の言葉だった。
第九の感動はあのベルリンの壁の崩壊後東西ドイツで合同で歌い上げられた。
魂の歓喜と自由の歌は、日本でも毎年の恒例のごとく12月の空に響いている。
今年を振り返りまた来年に思いを新たにするこの時〜〜勇気と歓喜と魂の自由の歌はいつの時代も、両手を挙げて迎えられるもだと・・・
来年こそ〜〜いい年でありますように。
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