サクラが亡くなったのは1月17日なのに
1月21日だと思い込んでいた。
サクラに言い訳なんだけど、辛い気持ちや
悲しい気持ちや自分を責める気持ちから逃避したがってたのだ。
一年前の日記を見ると、
「1月17日 午後3時10分頃 サクラが亡くなった」
とだけ事務的に書いてある。
そうだ、この時は、これ以上の事を書く事が出来なかったのだ。
亡くなる間際に最後の力を振り絞るようにして
前足の爪を出して私の人差し指を握りしめてくれた事とか
それなのにサクラが亡くなるなんて思わなかった思いたくなかった
それこそ本当に現実逃避な能天気な自分の事とか
おやつをもっと食べさせてあげればよかったとか
一度スイッチが入ってしまえば色々な思いが頭を巡って涙が溢れてくる。
だけど前と違うのは、サクラが亡くなってしばらくの間
サクラにもう一度会いたいよ〜なんて
深みにはまり始めるとはまり放題だった気持ちが
サク、サーを育ててくれてありがとう、とか
みんなと一緒におやつ食べてね〜 とか
ほんわかした気持ちに切り替える事が出来るようになったこと。
(高いところに置いてあるサクラのごはん&おやつと
私の顔を何度も見比べるサリーが可笑しいの。欲しいのサインなのだ)
心の中のサクと穏やかに付き合っていきたいよ。

これは昨年の花太郎の写真。 動かなくなったサクラの体のバスタオルに この写真と同じように手をかけてた花太郎を思い出す。 花太郎は何にでも手をのせるのだ。 先日は私の脱ぎ散らかした靴下にも手をのせていた。
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