Monologue

2002年07月03日(水) 南くんの恋人

ずっと探していた内田春菊さんの『南くんの恋人』を購入した。

他の書籍に引用されていたので、事前にほとんどのシーンは知っていたのだが、
きちんと通して読んだのは初めてだった。

ラストがどうなるのか予め判ってはいても、やはり凄いショックを受けてしまった(><)


(ちなみに6月29日の『日記』は本編購入前に書いた。

上記の『内容が引用された違う書籍』を読んで思い付いた話を安易に書いてしまったのだが、
……購入後だったら、絶対に書けなかったと思う。その位、衝撃的だった)

主人公の南くんと突然小さくなってしまったちよみちゃんがとても純粋に愛し合っているから、
つい幸せを願ってしまうのに、
ちよみちゃんが辿った運命はあまりにも悲惨だ(大号泣)

可愛らしい絵柄が余計に悲壮感を煽る。

ラスト辺りは読みながら、
舌の上にイヤな苦味が拡がるのを感じざるを得ない。


だが、更にショックだったのは、
たっぷり泣かされたラストページを捲った後の内田春菊さんの『あとがき』だ。

「(『南くんの恋人』の)最後の話を書いたのは27歳の初夏。
その年の春、私は家族と喧嘩別れして遺言状まで書いていた」

それを読んで、内田さんの代表作『ファザー・ハッカー』で語られた彼女の過去を想起した。

『ドメスティック・バイオレンス』や『性的虐待』と云う単語で片付けてしまう事は
絶対に出来ない。

女として、人間として、こんな事は絶対に許せない!!と激しい憤りを感じてしまう。

そんな感情を抱えながら描いた頃の作品だから……なのだろうか?と考えたら、
作品から受けたのとは全く違う意味で、胸が痛くなった。

「これで(ちよみちゃんが)元に戻ってめでたしめでたしとか、
いつまでも幸せに暮らしましたとかじゃあ、今まで100万回も有ったお話と同じじゃないか。
あんたたちそんなもんで満足なの?

絶縁したばかりの家族達も、いかにもそう云うのを好む人達でさ」

何処か捨て鉢な文体に一層哀しみを覚えてしまう。

だが、

「……それでこう云うラストになった。

どう?興奮したでしょ?これが良いんだよ、漫画だもん」

…と、さらりと書いてしまう彼女の言葉に、実は少々共感めいた物を感じてしまったりもする。

読者をドキドキさせたい、驚かせたい(勿論、良い意味で)と云う欲望は、
作家ならば誰でも抱いている筈だろうと思うからだ。

だが……
それだけで済ませてしまうには、あまりにも辛過ぎる結末だったと思う。

描いた当時に抱いていたで有ろう感情を考え合わせと、尚更違う意味で胸に刺さる。

(勿論、自分などが想像するのもおこまがしいが)

後書きの続きに、

「しばらくは、ほんとに人を殺したみたいな気分になってぼーっとした」とか、

「ちよみを思い出すと胸が痛い」とか、書いていらっしゃるのを読んで、

何と無くホッとした。


『南くんの恋人』みたいな話を、所謂『不条理』と云うのだろうか?と、
ふと思った。

(先日、知り合いの方が『不条理』について、大変熱く語って下さったので、思い出したのだ)

『不条理』と云う言葉を辞書で引くと「筋道が通らない事」と説明されているのだが、
たとえ「物語の筋道が通って」いたとしても、
『南くんの恋人』を読んだ時の様に、
舌の上にイヤな苦味が拡がるのを感じる物語は沢山有る。

それを否定する訳では無い。

むしろ身体の何処かで、
その結末を面白い!!と拍手する自分も確かに存在する事は否めない(−−)


10代〜20代頃まで、自分は結構そう云う話の方を好んでいた方だと思うのだが、

最近は、それと同時に、

「え〜!!どうしてこぉなっちゃうのぉ〜!!」とか、

「世界が俺を騙そうとしているのだっっ!!」とか、

『不条理小説』の登場人物と同じ台詞を吐きながら読んでいる自分が、
以前より強く存在する様になって来た様な気がする。

そう云えば、知り合いからも、

「ななか(仮名)の書く話は、以前より少しは『救い』が有る様になった」と言われた。


年齢を重ねる毎にヒネくれた性格が少しは円くなって来たのか、
単に怖いモノが増えただけなのかは、判らないが・……



ちなみに現実は物語よりも、ずっとずっとずっと『不条理』だ、と云う話は、また別の機会に。



(何だか最近、凄いエロ……じゃ無く、偉そうでスミマセン(;;))


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