白木蓮の咲く庭で...久純ゆきの

 

 

『終わりを歌う鳥』 - 2009年09月13日(日)

「ありがとう」

そう言って頭を下げた女性の姿が遠ざかっていく。
御神木の丘。

小さくなる背を、二人は静かに見つめていた。
ひとりは御神木の枝の上、季節外れに咲く白い花の隣に座した娘。
ひとりはその下、御神木の幹にもたれるように佇む青年。

一陣の強い風が、下から枝を煽って天へと吹きぬけていく。
宿る全ての力を放ちきっていた白い花は、
束の間の抵抗をすることもなく風に従って夜空へと消えていった。

「これで、彼女も解き放たれるかしら」

最初に言葉を発したのは、枝に座した娘の方だった。
落ち着きとやわらかさとを秘めた口調。
見送るために麓の方角へ向けたまなざしといい、
二十歳前後程の外見よりも随分大人びた雰囲気はどこか子供を見守る年長者を思わせる。
細い枝先にまるで小鳥のように止まる彼女は、白いサンドレス一枚だけを身にまとっていた。
右の足首には蝶結びにされて長く尾を引く白いリボン。そして長く伸ばされた黒髪。
それらが風に煽られて軽やかに宙を舞っている。
露になった素足の爪先が、薄い月光を弾いて輝いているようだった。

「どことなく晴れた顔をしていたとは思うが」

呼応した青年の声は、娘の言葉を肯定しながら皮肉げな響きも宿していた。
彼の横顔に落ちる薄く木漏れた月明かりに似た、夜闇を照らす真っ直ぐさと怜悧さを感じさせる声。
黒い着流しに白い帯の和装を着こなしきった彼は、腕を組んで枝の上の娘へと視線を送った。
くすりと小さな笑い声が枝の上から落ちる。

「ならば、良いの。蝶が残した蔭は、もうこの街のどこからも消えてしまうべきだもの」
「魂を運ぶ蝶々は自身にも滅びを望む……か」
「そこまではさせてあげないけれどね。――他の人間に対しての部分は、守護者として納得するのよ、あの子の願い」

娘は、膝の上に乗せていた分厚い冊子に手を置いた。
白い布張りの表紙は、右側に小さな銀の鍵が掛かっている。
拍子の中央には小さな筆記隊でDIARYと金の箔刷りが押されていた。
彼女はその上に右手の人差し指を置くと、重ねてゆっくりと文字を綴った。

CHIDORI

最後の文字を書いた指先が離れると同時に、かちり、と小さく鍵が開く音が響いた。
銀の鍵は空気に揺らぐように消え去って、誰にも触れられぬままに日記帳が静かにそのページを開いてゆく。
やがて開ききった頁の間から、淡い金色の光を宿した蝶々が生まれ出でる。
それは先程、人間たちをこの丘に招き寄せた姿と寸分違わぬ蝶々だった。
白い頁の上で小さく円を描いた後、金色の軌跡は地面へと向かった。
そして青年の直ぐ傍、地面に触れたと同時に、光がはじけて緩やかに伸び上がる。
いつの間にか、丘には静かな歌声がそっと添うように流れていた。歌うのは枝の上の娘。
その歌声を背景に伸び上がった光は小柄な人影を取っていった。
年の頃は14歳くらいだろうか。
腰を超える艶やかな長い黒髪。
訴えかける強さを持つ金色の大きな瞳。
閉じられた唇は緩く口角を上げて、静かに微笑んでいる。
レースに縁取られた白いキャミソールのワンピース。
何かを抱きしめるように腕を前に伸ばすと、微笑みは弾けて深い笑顔に変わった。
娘の歌声と共に現れた少女は、娘が最後の音を結ぶと共にその動きを止めた。
歌の余韻が風にさらわれてゆけば、それに合わせてその姿も淡く夜に解けていく。
――少女の幻影。

「……さすがは迦陵頻迦」

微妙な苦笑と共に青年が告げる。
短い拍手が、消えてゆく少女の幻影の最後を見送った。

「鳥にしても、誉めすぎじゃない?」

くすくすと枝の上の娘が笑う。膝の上の書は、いつの間にか閉じられて鍵も元通りに掛かっていた。
それは見る者が見れば思い出すのだろうか。
いつかの昔、一年草よりも短い季節の生を終えた少女が、大切に綴っていた日記帳と同じであること。
唯一少女が遺した直筆は、息を引き取った彼女を追うように、いつの間にか消えていたこと。

「この街に残った胡蝶のしがらみを歌で解くなら、対の迦陵頻迦でいいだろう」

青年の答えに、娘は枝の上で目を瞬かせた。
丸く開いた目をじっと青年に向ける。
何だと言うように眉根を上げた彼に向けて、彼女は心底感心したように言い放った。

「あなたが雅楽知ってるなんて。何だか不思議な感じね、七緒」
「……あのな、飛鳥。俺が何時から何処で生きてたと思ってる。基本教養だそんなもん」

がっくりと肩を落とした青年に、娘は胸の前で軽く手を合わせて小首を傾げた。
そうしていると、娘はひどく幼い少女のようにも見えた。

「陰陽道では何本めかの指に入る斎城家ね。……坊やは元気?」
「そろそろ坊やとは言えないくらいにはでかくなってるな。また連れてくる」
「ええ、お願い」

全てのしがらみが、いつか解けますように。

つぶやきながら娘は微笑みを夜空へと向ける。
青年もまたそれを追って視線を巡らせた。
御神木の丘の上。
月明かりだけが、二人の語らいを見つめ、静かに降り注いでた。



FIN


...



 

 

 

 

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