『休息』 - 2005年04月11日(月) 「……それで?」 しばらくしてから、ゆっくりと振り返った師匠はそれだけを告げた。 居間に昼下がりの心地よい風。 窓際に立つ師匠の長い黒髪を揺らし、 一人椅子に座る蒼天の頬をすべり、 開けられたままの扉から屋敷の中へと吹き抜けていく。 あまりにもあっさりとした受け答えに蒼天は少しだけ驚いたが、 おそらくこんな受け答えがされるだろうと、 心の中の別の部分で予想はしていた。 片手を窓の桟に預け、師匠は穏やかな瞳でこちらを見つめている。 机の上には白磁の湯飲みがふたつ。 手も付けられぬままに冷めてしまったお茶は、 間を持たせる為だとしても手を伸ばそうとは思えなかった。 「西での出来事、事情は分かりました。 それで?」 (ああ、やっぱり) これはいつもの、試験だ。 師匠の顔がそう言っている。 何を考えているのか測りがたい曖昧な笑み。 この人が怒ることは滅多にない。 60年近くずっと傍で過ごしてきたけれど、本当に数えられるくらいだ。 他所のお師匠様に言いつけられたお遣いで鮮やかに邪仙に騙されて、 それでも怒ったりはしないのだ。 昔枯らしてしまった花の鉢を抱えて、恐る恐る報告した時と同じように。 「ええっと、維垂ってヤツまた何か邪魔してくると思うから、 同じことを繰り返さないように気をつける」 「具体的には?」 「……変化術を使うみたいだから変化の仙術のこと調べてみる。 相手の出方が分かれば、焦らずに対処出来そうだから」 水をあげすぎた花の苗。 寒さに弱かった花の苗。 日にじっくり当てなかった株は、他の花に比べて育ちが悪かった。 花の種類も育て方も、まるで知らなかった子供の頃。 失敗しては泣きじゃくって着物の裾にすがりついた。 そのたびに、何が悪かったのか考えさせて、知りえないことは教えてくれて。 師匠が学ばせたがっていたのは心の構え方。 術など後からいくらでも覚えられる、 まず鍛えるべきなのはそれを使う心の方だ、と。 そういった意図を自然と悟るようになったのは、随分経ってからだった。 「そうですね、いいんじゃないでしょうか。 でも、ひとつ覚えておきなさい。 前にも教えたと思いますが、彼らは仙術の習得に、僕たちのような制限を持ちません」 「あ? あ、うん。あれだよな。 ある程度風水を覚えないと禁呪を扱えない、 風水をもっともっと覚えないと、巫蠱と厭魅を教えてもらえない、 風水を教えられるくらいにならないと、五遁、変化、長嘯、召鬼は覚えられないってやつ」 「そう、それです。 それは僕たち清仙だけに通じる戒めです。 相手は変化の仙人ですが、突然禁呪や巫蠱の仙術を使ってこないとも限りません」 「そっか、それもそうだよな……。うん、何が出てきても驚かないようにする」 それから、と言いかけて師匠はふと口を閉じた。 窓に預けていた手を口元に当て、目を伏せる。 何かを考えているのは明らかだった。 元より隠しておくつもりの事であれば、欠片も見せないのがこの人だ。 尋ねても構わないだろうと、蒼天は口を開いた。 「何?」 「いや……。緑成様が言い渡した遣いですから、 本来僕が口を出すのはあまり良くないと思うんですが」 「だから、何?」 「あからさまに誰かさんたちが狙っているのが分かったんですし、 もう少しきちんと、今回のことに対して知識揃えた方がいいのではないか、と。 ……でも、とりあえず」 そう言うと、窓際から離れて蒼天の方へと近づいてくる。 隣に立った師匠を見上げていると、ぽふりとその手が頭に乗せられた。 「おかえりなさい」 曖昧な表情から、笑みが深まって優しい笑顔になる。 遠い遠い昔、一番最初に、この人を見上げて見惚れた頃の記憶と変わらない、 白い花の名前に違わない表情。 だから。 「ただいま」 そのまま目の前の生成り地の着物に、目を閉じてゆっくりと倒れこむ。 頭を預けてしばらく、そうしていた。 師匠も何も言わなかった。 自然と蒼天の頭を抱え込むかたちになったてのひらが静かに上下し、髪を梳いていく。 桃の香りが風に乗って居間に届く。 綾花苑の午後。 風と花だけが、ふたりを見ていた。 **** ……らぶらぶになっちまってどうしようかと思いました。 えー、そんなわけで、お題 『みっしょんちょっとしっぱいしちゃった、おししょうさま〜木蓮の場合』 の、蒼天編でした。 「木蓮の『怒る』を書きます」と言ってましたが、 全然怒ってません。 木蓮は怒らないですねー、こういう場合。 「失敗したのはいいですから、まだ続いてる方で取り返しなさい」 ってぽーいっと放り出す。だろうな。 このあたりが木蓮の私じゃない部分です。 怒ることで生まれるかもしれない亀裂とか、 そういうものを本能的に怖いと思ってる部分があると思う。 それだけが原因で怒らないんじゃないんですけど。 怒らないのではなく、正確には怒れない。 これは木蓮の弱さです。 保護者としては出来が良くない方に分類されるでしょう。 何でもかんでも怒ればいいってものじゃないのは当然だけど、 人を育てていく過程の中では、 あえて毅然と怒って(叱って)みせないといけない時があると思うから。 木蓮はそれが出来ません。 自分と弟子たちを遮るものに対して 冷酷に振舞うことは造作もないくせに。 ところで、蒼天と言う言葉には、文字通りの意味のほかに また別の意味があります。 ……木蓮、どういうつもりでこの名前を蒼天に付けたのか、 何となく考えさせられる意味なのです。 さて。 ところで、木蓮対蒼天はこんな感じなのですが、 残りおふたりのお師匠様、緑成師匠と麟幻師匠。 弟子が失敗したらどんな風に振舞うのかなぁ。 ちょっと興味あり。 ...
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