マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

ネタバレ読書感想〜「世界の中心で、愛をさけぶ」(片山恭一) - 2004年04月21日(水)

(恒例の注意書きなのですが、以下の文章は、ネタバレというか「世界の中心で、愛をさけぶ」を既読であるという前提で書かれていますので、ストーリーを知りたくない方、映画を観られる方、この作品の大ファンの方は読まれないようにお願いします。読んで気分悪くなっても「自己責任」ということで。


(もういちど、ネタバレですよ!…って、この作品自体が30ページくらい読んだら先がネタバレしまくりな小説なんですけどね)



 ああ、なんて表現したらいいのだろうか?キレイな、本当にキレイな話だ。まるで、インドのタージ・マハールのような。僕は小説がリアリズムに偏ることに対してあまり好感を抱いてはいないのだが、ここまでベタベタの話を読まされてしまうと、それはそれで白旗、という気持ちすら湧いてくる。「描いてて恥ずかしくないのか!」とか。
どうしてこの作品が200万部も売れるのか、とは思うし、これで1400円かよ、とも思う。「泣きながら一気に読みました」という柴咲コウの言葉に、「どこで泣くの、これ?」と言ってしまいたくもなる。
この作品の前に200万部売れたのは、17年前の村上春樹「ノルウェイの森」なのだが、正直、この17年間で小説というのは退化してしまったのではないか、とすら感じる。

実際、この小説で僕の心に響いたのは、アキを失ったあとの主人公の「喪失感」の描写だけで(いや、それだけでも心に響いたのは特筆すべきことなのかもしれないけれど)、それ以外は、あまりにキレイすぎてよくわからなかったのだ。
まあ、もし誰かを「感動させよう」と考えているならば、必読の書かもしれない。若い恋人、病、死、再生…これほど「感動のロジック」に従って構成された物語はあんまりないんじゃなかろうか。ある意味、綿矢りさのほうが考える余地があるし、よっぽど「オトナ向け」だ。
しかも最後は「夢オチ?」と錯覚してしまうようなアッサリとしたエンディングだし。
「所詮、恋を忘れるには恋、ってことかよ」とツッコミたくなるような。
まあ、確かにその通りではあるんだけどね。

「世界の中心で、愛をさけぶ」というのは、イメージの断片を繋ぎ合わせたような物語で、登場人物の「実在感」がとても薄い話だ。綿矢りさのように「もどかしい比喩」が延々とつらなるわけじゃないし、姫野カオルコみたいに、「若いオンナの生態」が歴史書のように綴られるわけでもない。アキはまるで、あだち充のマンガのヒロインみたいなのだ。もちろん、あだち漫画のヒロインは白血病にはならないし、ましてや死んだりはしないけれど。

 この物語には、ものすごく美しい描写とものすごく曖昧な描写が入り混じっている。最初に曖昧なほうを書いてしまおう。「朔太郎」と「アキ」は主人公にもかかわらず、全然どんな人なのかイメージが湧いてこない。いわば「白血病で死んでしまう女の子A」と「その女の子とつきあっていた男の子B」という感じ。おそらく、あえて外見についての描写を控えているのではないだろうか。アキと朔太郎というのは、「子どもにとっての永遠の憧れのカップル」を具現化したようなものなのだが、会話がやたらとまわりくどくて鼻につく。「背伸びした村上春樹読者のセリフ」みたいなのだ。実際、病院で高校生がそんな凝った会話しないだろうよ、とかツッコミたいところ満載。
 ところで、この小説にとってプラスになったのは「性」を描かなかったところなのではないだろうか。もちろん、主人公の「やりたい!」というような描写はあるのだけれど、実際にコトに及ぶには至らない。それがこの小説の「美しさ」になっているのだろう。セックスの描写というのは、それが存在するだけで生々しくなるし、逆に、どう描いても滑稽になってしまうところもあるし。

 風景の描写は美しい。とくにふたりが取り残された(とはいっても、「計画通り」だったわけだが)島の光景は、とても綺麗なイメージだった、そして、火葬場のたなびく煙や桜の季節に舞う白い灰などは、僕にとってもどこかで見た風景で、ものすごくしんみりしてしまったし。こういうシーンは、おそらく片山さんのなんらかの本当の「喪失体験」がベースになっているのだろう。

 まあ、短時間で読めるし、そんなに責められるべき小説ではないのかもしれないよね。
「こんなに売れるのはおかしい!」って、売れたことを叩いても仕方がないし。

 でも、僕はこの小説にひとつだけ「やられた…」と思ったことがある。それは、僕が今まで忘れてしまった人、あるいは忘れてしまおうとしている人に対する申し訳なさみたいなのを思い起こしてしまった、ということだ。
 アキの死を「乗り越えた」朔太郎は、新しい彼女の前でアキの話をし、アキの「お葬式」を学校の校庭でやる。
 そう、どんな悲しい別れだって、人間は乗り越えられるのだ。ネガティブに考えれば、どんなつらい別れだって、記憶は少しずつ薄れていくのだ。人間というのは、冷たい、ものすごく冷たい。僕たちは、そうやって生きている。
 最後のシーンに、多くの人は朔太郎の「再生」を見たのだろうと思う。でも、僕は彼の、そして人間というものの酷薄さを感じて、ちょっと寂しくなった。
 だからといって「乗り越えるまでのプロセス」をキチンと描くべきかどうかは微妙なところで、そういう「のどごしの悪いところ」をあえて省略していったのが成功の原因なのかもしれないのだが。

 みんなの「こんな恋愛をしてみたい」というのは、朔太郎の立場としてなのかなあ、それとも、アキの立場としてなのかなあ…僕は自分が死ぬのもイヤだし、相手を失うのもイヤだ。忘れられるのも辛い。僕は、こんな恋愛は勘弁してもらいたい。
ところで、この作品を映画化すると、柴咲さんの出番はほとんど無いんじゃないかなあ、と真剣に悩んだのですが、実際はどうなんでしょうね。



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