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■ 折り合いのつけどころ
同じ人間として、どうしても許せないことがあって、でも誰にもいいところと悪いところがあって、相対的にはそんなに悪くない人物で、だけど、その相手の許せないところっていうのは、自分の中では絶対許せない言動だったり、態度・行動だったりするわけで、そのことに、どう折り合いをつけたらいいのか、時々わからなくなる。
自分がどうにも我慢ならないことを、そのことで相手を責め続けることはいけないことだって、何となくわかる。 でも許すということとは、ちょっと違う。 そんな簡単に許すという気持ちになれたら苦労はしない。
でも、そのことで相手を責め続けたりはしたくない。 でも、自分の中で折り合いがつかない。 相手の全てを嫌いになったわけでもない。 でも、その嫌いな部分は、絶対自分の中では譲れない、とても大切な事柄なんだ。
でも、そのように考えたり、思ってしまうことは、相手にもあることで、ひょっとしたら、自分も他の誰かからか、そのように思われてるかもしれない。 いや、そういうことって、よくあるんじゃないだろうか? 人間関係って、そんな細々した歪との格闘(葛藤)なんじゃないだろうかと思う。
仮に、自分が一側面でもって、思い切り相手から嫌われて、全否定されちゃったら、それはそれで殺生なって思う。 私だって完璧な人間じゃないよと。 自分がそのように尊重されたいと思ったら、相手にも勿論それをしてあげないといけない。
でも、でもさ、どこかで自分の心を抑圧してるような気がしてくるんだよね。 そんな居心地の悪さが、相手への嫌悪に繋がるんだと思うんだけど、自分のことも大切にして、相手のことも同じくらい大切にして、それでも折り合いつかない場合は、どうしたらいいんだろうと悩んでしまう。
(あんな人間なんだ、可哀想なヤツなんだな)と、一見、自分がデキタ人間みたいに相手を思ってみても、そんなのは傲慢な独りよがりの考えなんだ。 自分が中心にいて、自分の視点でしかない。 相手のことを、最初から見下げてる。
でも(あんなヤツは最低だ、絶対許さないぞ)と思ってみても、やはりそれは独善だ。 (何とか、アイツを導いてやろう、改心させてやろう)そう思うことも、どこか違う。 (おまえは何様だよ!)と自分に対して思う。
こういうことって、ゴールのない永遠のテーマかもしれない。 簡単そうで、一番難しいことなんだと思う。 戦争も、結局はこういうことが問題なんだよな。
やはり憧れるのは『風の谷のナウシカ』の”ナウシカ” 生命というものを粗末にするものに、全身で悲しみ、全身で怒る。 そして、どうしようもな不条理なことに対して、躊躇うことなく闘うんだけど、そんな中でも、敵をも救う。 自分は傷ついても、守るものがあっても、それを懸命に守りながらも、でも全てを分け隔てなく、慈しもうとする。 その精神力、決して諦めない強靭さ、そういうものに限りなく憧れる。
『みんな、わかって、お願い!』 そんな風に、どんな人にも訴え続けるナウシカ。 殺し合うことではなく、生き切ることを切に訴えるナウシカ。 そんな心を手にしたいと思うけど、身近なところでつまずいてしまっていてはいけないな。 ああ〜難しいな…
2006年02月18日(土)
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