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■ 日のあたる場所を歩けない
『白夜行』というドラマを見てて、雪穂という主人公にとても共感を覚える。 それでも自分とは違う幸福な子を不幸に陥れるような、そんなことは思わないし、実行もしはしないけど、でもその気持ちは理解できるかな。
「どんなことがあったって、笑って生きていかなくちゃいけない。 この世の中は不公平なことだらけだと思っても、何事もなかったかのように笑って生きていかなくちゃいけない。 いつも笑って努力して頑張ってれば、いつかは日のあたる場所で暮らせる。 そんなのわかってるよ、私だってわかってるよ、でもそんなのできないもん。」
そんな雪穂の叫びが痛いほどわかる。 思い出すよね〜 小学生の頃、大人の水着を着せられて、知らぬ間に父に写真を撮られていたこと。 いつの間に撮ったのかわからなかったけど、妙にいやらしい感じの写真になっていたこと。
それを意識してる自分が、おかしいような気がしてた思春期の頃。 誰にも見せたくない恥ずかしい写真を、隠すことも捨てることもできなかった複雑な思いの頃。 あの写真の意味を理解した、ある日、破り捨てたこと。 もう残ってはいないはずの写真が、今でも脳裏に焼きついてること。 そのことを思い出しました。
日のあたる場所に出て、笑って生きてはみても、そこはどこか自分の居場所ではないという違和感。 普通にちまたに溢れてる愛や感謝や、友情といったものに、どこかそぐわない自分がいて、しっくり落ち着かない、そんな時がある。 冷めた、遠くを見つめる目をした、もう1人の自分がいる。
疲れるよね。 普通に何事もなかったように、人に合わせて、毎日を生きること。 共感のしようもない、お涙頂戴の感動話に相槌を打つこと。 清浄無垢と思われるような人や環境などに、尊敬と憧れの目を向ける人たちに対し、軽蔑の気持ちを抱いてしまうこと。 わかったような口聞いて、おせっかいする人を交わすこと。
本当のことを、ぶちまけてしまいたい衝動を抑えながら、今日も生きて、時々、本気で笑って、本気で泣いて、本気で怒って、本気で黙って、でさ、私はどこ行くわけ?どこ行きたいわけ?って、自分に問い掛けてみて、それで何となく日常は平凡に過ぎていく。 これも幸福といえば幸福だし、でも日のあたる場所は居心地が悪くて、日のあたらない場所を探してしまうんだよね。
日のあたらない場所が落ち着くってことに、ふと気づいたりする。 でもやっぱり寒いから、日のあたる場所に出ようとしちゃう。 そんなことの繰り返しなのかなぁ〜と思った。 私の中に、何人もの自分がいる。 難しいやつだよね。 救い難いかもね。
2006年02月10日(金)
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