Comes Tomorrow
ナウシカ



 日のあたる場所を歩けない

『白夜行』というドラマを見てて、雪穂という主人公にとても共感を覚える。
それでも自分とは違う幸福な子を不幸に陥れるような、そんなことは思わないし、実行もしはしないけど、でもその気持ちは理解できるかな。

「どんなことがあったって、笑って生きていかなくちゃいけない。
この世の中は不公平なことだらけだと思っても、何事もなかったかのように笑って生きていかなくちゃいけない。
いつも笑って努力して頑張ってれば、いつかは日のあたる場所で暮らせる。
そんなのわかってるよ、私だってわかってるよ、でもそんなのできないもん。」

そんな雪穂の叫びが痛いほどわかる。
思い出すよね〜
小学生の頃、大人の水着を着せられて、知らぬ間に父に写真を撮られていたこと。
いつの間に撮ったのかわからなかったけど、妙にいやらしい感じの写真になっていたこと。

それを意識してる自分が、おかしいような気がしてた思春期の頃。
誰にも見せたくない恥ずかしい写真を、隠すことも捨てることもできなかった複雑な思いの頃。
あの写真の意味を理解した、ある日、破り捨てたこと。
もう残ってはいないはずの写真が、今でも脳裏に焼きついてること。
そのことを思い出しました。

日のあたる場所に出て、笑って生きてはみても、そこはどこか自分の居場所ではないという違和感。
普通にちまたに溢れてる愛や感謝や、友情といったものに、どこかそぐわない自分がいて、しっくり落ち着かない、そんな時がある。
冷めた、遠くを見つめる目をした、もう1人の自分がいる。

疲れるよね。
普通に何事もなかったように、人に合わせて、毎日を生きること。
共感のしようもない、お涙頂戴の感動話に相槌を打つこと。
清浄無垢と思われるような人や環境などに、尊敬と憧れの目を向ける人たちに対し、軽蔑の気持ちを抱いてしまうこと。
わかったような口聞いて、おせっかいする人を交わすこと。

本当のことを、ぶちまけてしまいたい衝動を抑えながら、今日も生きて、時々、本気で笑って、本気で泣いて、本気で怒って、本気で黙って、でさ、私はどこ行くわけ?どこ行きたいわけ?って、自分に問い掛けてみて、それで何となく日常は平凡に過ぎていく。
これも幸福といえば幸福だし、でも日のあたる場所は居心地が悪くて、日のあたらない場所を探してしまうんだよね。

日のあたらない場所が落ち着くってことに、ふと気づいたりする。
でもやっぱり寒いから、日のあたる場所に出ようとしちゃう。
そんなことの繰り返しなのかなぁ〜と思った。
私の中に、何人もの自分がいる。
難しいやつだよね。
救い難いかもね。


2006年02月10日(金)
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