Comes Tomorrow
ナウシカ



 炊き出し

炊き出しと聞くと、いつも思い出す人がいます。

私がネットをやり始めの頃、被虐待者ばかりが集まるサイトを見つけて、毎日のように見に行ってました。
そこには、親への恨み言を綴った文章があったり、悲痛な心からの叫びや、自殺をしようとしてる人を何とか止めようとする書き込みをする人がいたり、自助グループのような役割を持っているサイトでした。

私自身、自分の中にあるものを吐き出し始めた頃だったので、『私だけじゃなかった、こんなにも同じように苦しんでいた人がいたんだ』と、ちょっと安心できたり、初めて共感してもらえる仲間に会えたという喜びもありました。

リアルな世界で吐く場所がない、周りに聞いてもらえる人がいないという人が多かったので、愚痴や恨み言を吐く人がやはり多かったように思います。
その中で、壮絶な体験をしているにもかかわらず、自分自身、愚痴を言いつつも、人に温かなものを送っている人がいました。
その人が、悩んでいる人につけるレスに感じ入るものがあり、私はその人のサイトも、よく見に行くようになりました。

彼女のサイトは、被虐待者といってもドロドロしたものはなく、ピンクとオレンジ色に統一された温かな雰囲気のサイトで、柔らかなオルゴールの曲がサイト全体に流れていました。
でも、そこに書かれている体験はすさまじいものがありました。

私が見た、今でも忘れられない体験のひとつを書きたいと思います
(もうすでに彼女のサイトはないので、多少記憶違いもあるかもしれませんが)

彼女が中学か高校生の頃、親に家から追い出されたそうです。
ただ単に、家の外に放り出されたのではなく、まさに捨てられたかのように…

彼女は絶望のうちに途方に暮れていました。
どこにでもいる普通の子で、学校にも真面目に通う子だったようです。
誰かに助けを求めれば良かったのにと思うけど、保護されるべき親から、そういう仕打ちを受けていたからか、なす術を知らなかったからか、彼女はしばらく公園で過ごしました。

その頃、家出した少女とかが(に限らないけど)援助交際に走ったりすることが社会問題になっていた頃で、彼女も生きていくために、ふっとそんなことも頭を過ぎったそうです。
でも、どうしてもそれだけはできなかったと…
なぜ、近所の大人に助けを求めなかったのだろうと思うけど、彼女はまだ子供で、そこまで考える余裕もなかったのかもしれない。

日が経つにつれ、所持金は無くなるし、お腹も空いてくる。
思春期の女の子なのに、風呂にも入れず、公園で野宿です。
そんな時、ホームレスのおじさんが親切に、『あそこで炊き出しをやってるよ』と教えてくれたそうです。

そのホームレスのおじさんは、親切に自分の使っていた毛布を彼女に貸してあげたり、『新聞紙を敷くと温かいよ』と教えてあげたり、炊き出しの時には、少し欠けた茶碗に炊き出しのみそ汁なんかを、彼女のために入れて持ってきてくれたりしたそうです。

もうギリギリ限界の生きるか死ぬかのひもじい状態だった彼女。
その茶碗を受け取って、そのホームレスのおじさんの前で泣いてしまったそうです。
『いろいろ辛いことがあったんやな…でもな、生きてたら何かいいことあるかもしれん、わしが言うのもなんやけどな、とにかく、これ食べて元気出しや』

彼女は泣きながら、『あのぉ…あっちで食べてきていいですか?』と言いました。
『いいよいいよ、遠慮はいらんから、どこでも好きなとこで食べといで』
そして、彼女は人目のつかない所で、こっそり茶碗の中の物を排水溝に流し捨てたのでした。

この時の彼女の気持ちわかるでしょうか?
流した涙の意味わかるでしょうか?

普通の子なら、雨風を凌げる温かな家で、清潔な茶碗にもられた食事を食べて、お風呂にも入って清潔に当たり前に過ごせます。
そんな思春期の女の子が、公園で、親切なホームレスのおじさんが差し出してくれた薄汚れた欠けた茶碗に注がれたみそ汁を受け取り…

彼女は複雑な気持ちだったと書いてました。
ホームレスの人は見たことあるけど、住む世界が違う人だと思った。
自分とは関係ない人種の人だと思った。
差別する気はなかったけど、でもどこかそういう目で見ていた。
それが今、そのホームレスのおじさんに親切してもらい、食べ物を分け与えてもらい、それを食べないと生きていけない自分。

親に捨てられ、どん底の自分に唯一親切に接してくれたのが、自分が今まで心のどこかで蔑んだ目で見てきたホームレスのおじさんだった。
その優しさに感謝しつつ、でもそれを素直に受け取れないプライド、ここまで落ちてしまった自分の人生…
情けなくて、嬉しくて、悲しくて、悔しくて…
そんな言葉にならない涙だったようです。

そうして何度かは、炊き出しの食べ物を排水溝に流してしまったけど、ある日、『生きよう…生きるんだ、どんなことがあっても生き抜くんだ!』と決意し、その炊き出しを食べるようになり、しばらく過ごした公園を後にして、自分ひとりの力で生活をするようになりました。

その後、どれほどの苦労をされたかわからないけど、高校も出ず、ある会社で出世して、年収何百万だか何千万だか、男顔負けの仕事をされ、人から妬まれるぐらいになったそうです。
同性の女性からは憧れの目で見られたり。

そんな中、道で物乞いをしてるホームレスの人を見かけると、いつも少なくはないお金を入れていくそうです。
それは以前のような憐れみや同情心でもなく、自分に生きる糧をくれた、短くても共に時を過ごしたホームレスの人への感謝の気持ちと、『頑張って生きてください』という心からのエールの気持ちと、また『ごめんなさい、でも私もう、そこには行きたくないの、忘れてしまいたいぐらい辛い過去なの』という背中を向ける気持ちと…

彼女の命をつないだ炊き出しではあったけど、それと同時に最も辛
かった思い出のもの。

その後、彼女は、病気のために人格的に問題があった男性と結婚し、一家の大黒柱として苦労され、また生まれてきた子供は自閉症。
自分自身も、性的虐待も受けてきた後遺症か、解離性人格障害(多重人格)になり、精神科への入退院を繰り返し…

結局、ストレスの元になっていたご主人とは離婚し、子供と共に大阪に引っ越してくると言って、私もこれで彼女と会える、共に励まし合いながら頑張っていけたらと楽しみにしてました。
…が、ぷつりと連絡が取れなくなり、サイト自体もなくなり、今はどこでどうしているのやら…?

彼女と子供さんが共に健やかなことを願います。


2005年12月28日(水)
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