| 蛍桜 |
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| いちにちまえ |
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愛がない、だとか 寂しい人間だから、だとか 不器用だから、だとか そういう抽象的なこと? なんていうか逃げ場的なそういう言葉たち? を簡単に好んで言っている人を 客観的に見た小説を読んだ いや実際はそれだけじゃないけど 作中でそういうのがあっただけで うん、まぁそれで思ったのが おもいっきり私もそのパターンの人間にはまるわけだが そういう「言葉」にしたところで そうやって嘆いたところで どうなるわけでもなく なんか違うなーと感じた その作品の中の女性は言う 「私たちはみんな孤独なの。寂しいの。だから ネットで家族ごっこをするの。」と それを聞いた男性が言う 「相変わらずそういうの好きだな、だが俺を一緒にするな」と こういう場合、私は女性の言い分が分かって男性の言い分は 多分理解できないであろう、と思ったのに 意外なほど男性の言い分がなんか分かった気がする ちゃんとした言葉では説明できないけど まあ言うなれば 孤独だ、寂しいのだ、と言えるのは自分を客観的に見ているだけであって まあそれだけの余裕もあるわけで 実際自分にそう言い聞かせているような感じで 逃げ道を作っているような 言葉で片付けようとしているような なんともよくわからないもやもやが伝わってきた とにかく思うのは そうやって分かって、思っているからそうしているんだ、という 言い訳だけは綺麗に建てられるんだな、という感じで んーたとえば、いじめられてひきこもっている人に 「あなたは寂しいのよね、孤独だったのよね、でも大丈夫私がいるから」 というような若干熱い感じの言葉と通じる感じ 何かのドラマやら映画やらの見過ぎだというような、そんな感じ 自分に酔っている、まさにそんな感じ それで救われるひきこもりもいれば 救われないやつらもいるわけだけど なんにせよ、胸を張っていえる言葉じゃない 「私は寂しいです、孤独です」と だけどそれを言えるようになっているのがこの世の中で そういうことによって同情を得ることも多少の目的であって そういう言葉を言えば、誰もこれ以上は深入りしないとか 自分の気持ちを多少は分かってくれるかもしれないとか まぁよくもわからないすごく他力本願な言葉に聞こえるわけだ 「私は親に愛されていない」 愛されてないと、思い込んでいるだけだろ、と 思うような人がたくさん居る 一度そんなことばかり言っている人を見て その思い込んでいるだけだろ、という言葉をそのまんま投げかけたことがある その相手は一瞬固まり「そうだよ」と答えた それなのに何かを否定することによって 自分は救われているのだろうね 期待することよりも否定することのほうが容易いもんね 「誰も私なんて好きになってくれるわけない」と言うならば 好きになってもらえるだけの努力をしろと 「自分の全部がコンプレックスで、自分が嫌い」と言うならば 好きになる努力をしろと そういう矛盾だらけなのに 誰もつっこめない自虐的な、卑屈な、ネガティブなそういう言葉を 少し嫌だな、と感じることもあるのが事実 だけどそれを好んで使っているのは 他の誰でもない私だったりして まぁこの小説を読んで少し客観的に考えることが出来て 周りから見たらこうなんだな、って分かって だからって私は変わらないんだとは思うけど ああそっか、と何か納得できるものがあったわけだ 書いてて思ったが、そういうのは嘆きとしても受け止めれるわけだが 自分でそういう言葉を自分自身に捧げることによって 自己陶酔 私は可愛そうだわ どうしたらいいのかわからないわ 的なことに繋げようとしているような気がしてならない そしてそれが自分自身への救いになっているわけでもあるけれど うん、まぁよかった 私はまだ頭が固くなっているわけじゃない まだ吸い込めることがたくさんあるはずだ もっともっと視野を広げたいな |
| 2007年05月20日(日) |
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