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日本も負けじと「オオサカチーズケーキ(濃厚)」とか作んなさいよ
2005年05月14日(土)

カラオケで友達と歌いまくる。
「一時期より音階のキレが悪いなぁ」なんて言いつつも楽しむ。
やっぱり歌うとスッキリするもんです。
その後、最近できたカフェで「ニューヨークチーズケーキ」を食す。
「どのへんがニューヨークなんだろう」
「盛りつけ方じゃないかな」
「そーなのかー?」
謎は深まるばかりだ……。

と、こんな記述が。
「クリームチーズにサワークリームを加え、小麦粉は使わず、
天板にお湯をはって湯煎焼きで作った、
しっとりと濃厚なタイプのチーズケーキ。
ケーキの底に砕いたグラハムクラッカーを敷く。」
ほほー。
つまり、結局のところ……
……よくわかりません(※もともとチーズケーキの調理法を知らない)。
ま、ひとことで言ってしまうと「おいしいもの」だ。

まだまだ先は長いし、いろいろ勉強していかんとねー、などと話す。
私も最近生活態度がだらけてきているので、
ここらでまた引き締めないといかん、と思っていたところ。
違う状況で頑張っている同級生と話すと、刺激になる。

ぴしっと気合いを入れながらも、新しい楽しみを見付けていかないとなあ。
周りを気遣いながらも、「他人は他人、自分は自分」と割り切らないとなあ。
一見相反しているかのようにも見える課題を、両立させたいものだ。
そんな中で一番恐れているのは、
私は実は、もう何も吸収できない人になっているんじゃないかということ。
精神年齢が年取っているだけでは単なる老人なので、
「大人らしい思考・行動」が自然にできるようになりたいのだ。
大人ってなんなのか?ということも含め、難しいテーマだと思う。

けど、どんな状況にいる人であれ、
「未来が見えない、見えないけども確かに未来がある」という点では
みんな同じである、と思うことができた。
たぶん私にも未来があるなら、と。

15歳の頃に「これがもしも悪い病気だったらどうしよう」という
恐怖に一人身震いしていたことを思い出す。
実際は大したことのない病気だったので取り越し苦労になったが、
長期間にわたる身体的不具合を初めて経験したことで、
自分の命が有限であることを強く感じた。
幸運なことに、私はその後も人生を続けさせてもらっている。
だからそのことの幸せを、辛くなるたびに噛みしめようと思う。
誰でも過去を見渡せば、
「あの時死んでいたかもしれない自分」がずらーっと並ぶ。
若い人でも、生きていることは「可能性の高い偶然」でしかない。
未来があること自体が、素晴らしいんである。