カラオケで友達と歌いまくる。 「一時期より音階のキレが悪いなぁ」なんて言いつつも楽しむ。 やっぱり歌うとスッキリするもんです。 その後、最近できたカフェで「ニューヨークチーズケーキ」を食す。 「どのへんがニューヨークなんだろう」 「盛りつけ方じゃないかな」 「そーなのかー?」 謎は深まるばかりだ……。 と、こんな記述が。 「クリームチーズにサワークリームを加え、小麦粉は使わず、 天板にお湯をはって湯煎焼きで作った、 しっとりと濃厚なタイプのチーズケーキ。 ケーキの底に砕いたグラハムクラッカーを敷く。」 ほほー。 つまり、結局のところ…… ……よくわかりません(※もともとチーズケーキの調理法を知らない)。 ま、ひとことで言ってしまうと「おいしいもの」だ。 まだまだ先は長いし、いろいろ勉強していかんとねー、などと話す。 私も最近生活態度がだらけてきているので、 ここらでまた引き締めないといかん、と思っていたところ。 違う状況で頑張っている同級生と話すと、刺激になる。 ぴしっと気合いを入れながらも、新しい楽しみを見付けていかないとなあ。 周りを気遣いながらも、「他人は他人、自分は自分」と割り切らないとなあ。 一見相反しているかのようにも見える課題を、両立させたいものだ。 そんな中で一番恐れているのは、 私は実は、もう何も吸収できない人になっているんじゃないかということ。 精神年齢が年取っているだけでは単なる老人なので、 「大人らしい思考・行動」が自然にできるようになりたいのだ。 大人ってなんなのか?ということも含め、難しいテーマだと思う。 けど、どんな状況にいる人であれ、 「未来が見えない、見えないけども確かに未来がある」という点では みんな同じである、と思うことができた。 たぶん私にも未来があるなら、と。 15歳の頃に「これがもしも悪い病気だったらどうしよう」という 恐怖に一人身震いしていたことを思い出す。 実際は大したことのない病気だったので取り越し苦労になったが、 長期間にわたる身体的不具合を初めて経験したことで、 自分の命が有限であることを強く感じた。 幸運なことに、私はその後も人生を続けさせてもらっている。 だからそのことの幸せを、辛くなるたびに噛みしめようと思う。 誰でも過去を見渡せば、 「あの時死んでいたかもしれない自分」がずらーっと並ぶ。 若い人でも、生きていることは「可能性の高い偶然」でしかない。 未来があること自体が、素晴らしいんである。 |