妹が寝坊をしたので置いていくことにする。 きゃつめ(!?)、自分から買い物に行こうと言ってなにごとじゃ。 一人で都会をうろつく。わー、大人の街だなあ。 大人ばっかりだ。とっくに白髪の本物の大人ばかり(高齢?)。 二年前、進学をなかば決意したまま、 社会勉強のために就職活動を少しだけ続けていた頃のことを思い出す。 グループディスカッションの雰囲気があまりにも怖くて怖じ気づき、 一言も発言できないままただ時間が過ぎるのを待っていた。 だまーってこの大通りを歩いて駅に向かい、 そのあと電車の中で泣き出してしまったことがあった。 就職活動がらみで泣いたのは、今のところあの日だけである。 本来、タマネギでも刻まない限りはあまり泣かない人間なんである。 タマネギは辛いよね、タマネギに含まれる硫化アリルは。 でもその成分こそが体にいいんだそうである。 就職活動で初めて訪れた時に比べて威圧感を感じなくなったその街の 大きいデパートのおしゃれな雑貨のコーナーで、 本物の大人たちを「ちょっとすいません、前失礼しまーす」なんて かき分けながら(みなさん、ゆるりと動かれる方ばっかりで 不思議な位置にぼーっと立っておられたりする)、 母の日のプレゼントを選んだ。 いやー、写メールって素晴らしいねえ。 めぼしい品をカシャッと撮っては、 家にいる妹(起床済み)に「840円」とか、値段を添えて送信。 プラスチック製とおぼしき食器がやけに高額なので、 解説を見てみると、なんと「水牛のツノ」でできているという。 それも、一個一個手作りなのだそう。 そう言われればよく見ると色合いも模様も全部違っている。 やたら軽くて、質感も光沢っぽくツルツルなので驚いた。 でも、うちの家族から見たら「プラスチック?」としか思えないし、 だったらもうちょっと見栄えのするものがいいかなあなんて。 おまけに熱に弱い素材ということで、扱いの荒い我が家には向かない。 でも、本っっっ当にお金持ちのご家庭なんかでは、 はかなげな細工のほどこされた繊細なガラス食器なんかを、 シーズン・シチュエーションごとに違うシリーズで使い分けては 食卓を彩っておられるんだろうなあ。 クッションの柄も季節に合わせたりなんかして。 うーん、考えただけで疲れてくるなあ。 我々のような小市民、いいえプチ市民(?)は、 もっとさりげない形で「これキレイだなー」と思う小物を ぼちぼち集めていき、退屈な生活をちょっとだけ楽しもうではないか。 そういう気持ちをこめて、母の日やら家族の誕生日やらには、 彼らが普段は絶対訪れないであろうおしゃれめな店に赴いては、 わりと安めの、でもちょっと珍しい雑貨を買って 贈ることにしている。 センスのいい店の中を、人のために悩みながら歩くことで、 モノに関心のない自分の感性をちょっとでも磨けたらいいよなあ、 と思って始めた習慣。センス不足!と嘆く私にとっては勉強になる。 我が家のテンションと合わないくらいカッコイイものは避けるようにし、 その売り場に置いてあるから輝いて見えるけれど 我が家に置いてしまうと「え、100円ショップ?」って思うくらい ひなびて見えてしまうものもあるから要注意だ。 たとえば、真っ白いシンプルなプレートとかは、 モダンな内装の店内で暖色系のライトの下に置いてあると映えるが、 うちのコタツの上に置いたりしたらあたかも「粗品」であろう。 現況の我が家よりも、半歩だけ先を行くセンス。 そのラインを見極めるのに毎回四苦八苦している。 さらに、「今家になくて実用的」なもので、 「予算内におさめる」ということも大きな制約として立ちはだかる。 今回も2時間ほど売り場をウロウロし、 妹と電話でごちゃごちゃもめた挙げ句、 ようやく一品を決めることができた。 そんな中、母から連絡をうける。 先日面接を受けた会社から「落ちました」という手紙が来たのだそう。 まあいっか。こういうのは相性というか、縁の問題だ。 その会社に入ってから「合わないなあ」と感じて転職する手間を 向こうから省いてくれた、のだ。と思うことにした。 うーん、早くいい出会いがあるといいなあ。 2年前とは明らかに違っているのは何か?と思うと、 人前に出ることに慣れたとか、体力がついたとか色々思い当たるが、 一番大きいのは「いろんな道があるもんだ」と、自分の人生を 突き放して見られるようになったところ、なのかもしれない。 そういうことで、二年前よりもずっと気が楽になった感はある。 |