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おっす、おらアウトロー
2003年12月16日(火)

携帯電話が今日からしばらく入院だ。
“あの子も私に毎日振り回されて大変だったのね、ほろり”と
つぶやきながら帰ると、パソコンもやっぱり変なことになっている。
あああもうー、うちの子たちったら!そしてそんな自分ったら!!
パソコン二台に携帯電話一台がおかしい。そんな最近ったら。まったく。

近頃、最も忠実に動いてくれる家電はコンポである。
そんな中で音楽を聴くべくCDを買ったんだが、
それがねー。いまいち頭痛なのよ、奥さん。
12月に入ってから頭痛が酷くてね。
薬に頼るかどうかギリギリのライン。
義理のライン。
義理?……義理……?
義理人情!人情!厚いぜ!!
今日からお前も兄弟分だ!!
今日からお前も友達だ!(“南国少年パプワくん”より引用)

いかんいかん、また連想が始まった。
でもこうして、言葉で遊び続けていることは実は重要だ。
たとえ肌のハリを失おうと、趣味がすり減ろうと、
貯金が無かろうと、病気だろうと、
人としての不思議さぐらいはキープしなけりゃ。

私の持つ雰囲気を液化させて試験管に入れて
ガスバーナーの青い炎であぶっていったら、
最後に残るのは粉末状の面白さであってほしい。
表層的なものにあまり興味を持たないから、
今後社会というステージにある程度場慣れしたら、
隅っこの方で徹底的に面白いことをやってみるのも、いいなあ。

あと半年の間に人生の全部が決まってしまうとは思わない。
人によっては、60歳を過ぎてから始めたことが
代表作的な仕事になったりしている。
やなせたかし氏しかり、ローラ・インガルス・ワイルダー氏しかり。
そういう方ほど、よく味の染みたおでんみたいな存在感で、
世の中に二つとないしっかりしたものを生み出しておられる。
私は体は弱くとも細く長く生きる予定だから、
そういうナイスなおばあちゃんとしていつか君臨したいなあ。

というのも、私は進路のことを考えた時に
“よし、こっち方向に進むぞ!”と思う内容が
半年やそこらであまりにも変わるので、
もうしょうがない、別に定めないことに、したのだった。

いつもどこに行くかなんて自分でも解らない、
そうさ俺はアウトローなのさ。
今いる所だって、偶然付いた場所がここだっただけだ。
今まで、行こうと思った場所に行ったためしはない。
“第一志望校を受験して合格、入学した”っていう経験は
幸運ながら何度かあるけど、
それは「行こうと思った場所に行く」ということとは違う。
たまたま周りに「あんた、受験とかしてみる?」と言われて
「うん、まあいいけど」という程度のノリである。
あんまり率先しているはずない。
子供の時ほど、未来について具体的な貪欲さがないものだ。
10歳ぐらいまでは、受験の意味も認識していなかった。
意義についてはその後悩んだ。
学校が問題なのか私が問題なのかはさておき、いずれにせよ
入学してからは確実に予想外の連発だったし。
ファミレスでメニューをオーダーすることと、
受験や就職で未来を選択することは確実に違う。

例えば「○○に行ったら絶対△△でしょ」みたいな
予想(時に思いこみ?)が、自分にとってはどこまで
“絶対”なのか?はなはだ疑問なんである。
とりわけ私のように、確率の低い部分で生きている人間の場合
デザインの学校に入ったのに気付いたら文章ばっかり書いてるとか、
これからもそういう「?」を無数に超えて生きていくことになる。
極端な話、書道家になろうとして頑張っていたんだけど、
気付いたらオリンピックに出てたみたいな。
つまり、欲しい!と思っていた遠くのものに向かって努力をしても、
それじたいは手に入らずに、でもまた違う大事なものを得るような?
なんなのかねえ。微妙なのかねえ。
単に運だけでここまできたってことなのかねえ。

時々私の文章を面白いと言ってくれる人がいるのは、
私にとって当たり前のことが人にとっては当たり前ではなく、
そのズレを楽しいと感じてくれたからなのかもしれない。
そういう風な方向で、価値のあるはやさんでいたいもんだ。