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山を下り 谷を走るぅ
2003年09月22日(月)

みどりの牧場が完成するまで、この題名は続く。

今日は昨日よりしんどい疲れが襲ってきたので、自宅で作業することに。
……やばい、やばいぞ!「疲れが遅れて来る」ようになってきた!?
歳だ!齢と書いてよわいと読む。よわいのよわいのー!(混乱)

……フフッ(?)、いやいや、大丈夫。
俺は元々年寄りなんだ!
そういや、そうだ!
だから怖いものはない。若くなければ老化の心配もない。
この先、シワも白髪も気にしない。
ドモホルンリンクルにも頼らない。
「ゲゲゲの鬼太郎」という作品の放つ空気が時代を超えて同じなのも、
昔から『妖怪=古さを売りにしたテーマ』であるという
「普遍的な古さ」にあるのだという。
普遍的に古いものは廃れない。
そういや、中野にある「クラシック」という名曲喫茶は、
母の話によれば三十年前から古くさかったそうな。
今でも変わらず古くさいようだ。

だから幼少期から「老人のような子供」という生き方(?)を
選んでいた私は、実は生き残りたいという願望が人一倍
強かったのかもしれないね、という精神分析結果by俺。

それにしてもね、プレステ2やりたいね。
妹が貸してくれたらの話(だから多分無理だな)。
ファミコンな感じのモノが懐かしい今日このごろ。

小学生の頃に、自分が楽しんでいたことは何だろう?
最近そういったことが気になっていた。
友達が「昔、虫取り行って」「野球やってた」とか言ってたりして、
私はそれを聞きながら「そういう世界もあるんだなー」と
思いもよらない選択肢に、こっそり驚いて興味を示してもいる。
そういや、今年の夏も近所の子供が草むらで虫取りをしていたようだった。
私が見逃してきた文化の範囲は、あまりにも広すぎたようだ。
自他とも認める変わり者であったとしても、
ちょっとぞっとするくらい、距離を感じる時がある。

小学生時代の放課後、私は何をして遊んでたっけ(絵を描く以外に)?
と色々考えて、ホロリとなったり(?)したのち、
そーだ!と思い当たる。
確か、ファミコンやってた。

これからの子供にとって、
けん玉や竹馬のような「懐かしのおもちゃ」のほとんどは
「コンピュータ・電子」なものになるんだろう。
我々の世代あたりがその第一期生なんだろうか。
で、大人がそういう文化の変遷を見て
「最近のおもちゃにはぬくもりがない」「一人で遊ぶなんて」と
一方的に批判したりすることがあるけども。
ぬくもりのある時代や、友達と遊べる状況が無い場合、
そういうものに込められた優しさみたいな感情が、
大切な要素になってるのかもしれないなあ。
今以上に疲れ切った状態で生きていた私を支えたのも、
そういうさり気ない、ふわっとしたものだった気がする。