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ぬるい体調、ぬるい俺
2003年08月17日(日)

乱馬にぬるま湯をかけた場合、男なのか女なのか。
水とお湯の境界線ってどこにあるんだろう。
暑いとぬるい、涼しいと寒い。
体感温度というのは本当に個人差オンパレードな概念なんだなぁ。

温度を意識するのはなぜかというと、
今日うちに新しいエアコンがやってきたからだ。
私の部屋のではなく、親の部屋の。
やってきた、ということはこれすなわち、前のが壊れたということ。
私自身は超が着くほどの冷え性なので、今年のような冷夏は
エアコンが無くてもどうにか暮らせるタイプなんだが、
彼らはそうもいかず。
なんか、マイナスイオンが出てくるので快適なエアコンらしい。
うん、そう言われると快適なような気がしてきた。
商品の付加価値ってそういうもんなのよ、まず気分が大切さ!

昨日はずーっとPCとにらめっこをしていたら、
目がおかしくなって頭痛がひどくなってしまった。
今日は休みながら違う作業をしていて、
ようやく少しずつ目と頭痛が少しずつ良くなってきた。
懐かしい色鉛筆で、落書きのようなスケッチをした。
そういえば中学生くらいの頃は色鉛筆が画材の全てだったな。
絵の具を使うのは正直、苦手だった。
しっかり乾く前に、つい描いちゃうのだ。
せっかちなのは江戸っ子のせいさ(嘘)。
水彩のように穏やかな画材とは、なんか相性が悪い。
そういえば私が絵を描くスピードは、当時本当に速かったなぁ。
高校入試の頃は社会の授業ノートを「絵」で取っていたくらい。
授業を聞くやいなや時事ネタをからめたイラストに起こし、
時間内に水性マーカーウン十色セットを使って着彩まで仕上げていた。
そのくらい遊ばないと覚える気が起きないくらい、
社会がすっごく苦手で困っていたからなんだが、
そういうことが今の私に続いているような気がする。
絵が好きなんじゃなくて文字が苦手なだけじゃないのか?という説もあるが。

その後コピックに出会い、水彩っぽい色使いはやっぱ綺麗だなーと
遅ればせながら実感したりしたっけ。
そういや、最近コピック使ってないな!勿体ない。

相変わらず〆切がいつもそばにある(微妙な距離感で)。
暇ではない、されどゆとりは持ちたいなーなどと考える。
暇は物理的な「空き」のことで、
ゆとりというのは精神的な問題のように思う。
同じ時間でも、同じ行動でも、気の持ちようで全然違うものだったりする。
限られた物理的条件、社会的制約の中で暮らす我々だが、
現代の日本において、気持ちはあくまでも各自の自由である。
そのギャップがかえって病の温床になったりするのかもしれない。
束縛がいいというわけでもないが、自由は不安を生むものだ。

昔の日記を発見して、今と変わってないなあということを確認。
だいたい10年くらい前に書いた文章だが、
やっぱりなんか、その日の身の丈に合ったレベルで悩んでいるんだなぁ。
今の私は当時の目標地点のさらに先に立っているわけだけど、
やっぱりなんか、その日の身の丈に合ったレベルで悩んでいる。

言葉の響きやイメージについ惑わされてしまうけれど、
本質を見つめると全然違ったりする。見方によっても。
同じ人間が、人生辛いねと言ったり、人生楽しいねと言ったりする。
どちらも嘘ではないんだと思う。
楽しい人生とか、いい人生とかっていう表現はあまりに画一的なのだ。
どこに行っても、何になっても辛いことはあるもんだし、
何かをしても、何もしなくても辛いことはあるもんである。
「何もしない」ってのも、実際のところ意外と辛い。
「具合悪いんだったら寝てなさい」みたいに言われてしまうと特に。
なんでだろ、体調悪いと無理したくなってしまうのだ……。
普段はぐうたらしてるのに。本当に不思議なもんだ。