家庭的というより修業的な食事。 日本人は野菜が足りないという広告を見かけたので考えてみたが、 うちはいつも野菜だらけだ。そのわりに病弱なのだが、どうしよう。 今日から授業。うーん、懐かしいこの感じ。 この圧迫感。閉塞感。二酸化炭素が肌を濁らせる音がする。 日本人が聞き取れない日本語ってのも身近にあるもんだな。なんてことを思う。 でも意外や意外、私にとってこれはチャンスだ。 キャラクターは、こういった退屈の中で産まれることが殆どなのだ。 奴らは、「さぁキャラクター考えるぞっ」と 待ちかまえている時にはあまり産まれない。 ひょんな時に産まれる。 「集中して話を聞きなさい、ノートをとりなさい」と言われたりしたら、 そりゃもう多産である。忽ちノートは落書きだらけになり、 ……その中にいるのだ、うじゃうじゃと。卵が。 後でそのノートの落書きを眺めて、気に入った奴をあらためてスケッチ。 すべてのキャラクターはそうやって産まれてきたから、 あらゆる退屈な時間を私は大切にしなくてはならない。 でも不思議なもんで、「こういうとき産まれるんだよねー」と 予め目論んでいると奴らは出てこない。 ちゃんと、私の計算高さを見透かしているのだ。 なるべく清い心で、まじめに授業を聞く(否、聞こうとする)こと。 それがキャラクターを産むための土壌となる。 うわー嫌な生徒だな、授業中に出産かよ(嫌な暗喩)。 知り合いのサイトに行ったら知り合いがサイトを開設していた。 ややこしいが、前者の知り合いと後者の知り合いは別人である。 すごいなぁ、さすがきっちりしている。 ……うちのサイトはかれこれ○年も中途半端だが、それもよい。 そう思って生きているんだから。 サイトを何と見なすかって、かなり個人差があると思うんだが、 情報を誰かに発信するためというより、自分の日課にするためという場合も 結構多いような気がする。ここもそんな「個人サイト」。 ここは滅多に人通りのない道だけど、 ひょっとして私が寝てる間に誰かが見てるかもしれないから、 この庭の花はちゃんと植えとこうか。ということに似た心理が、 私に毎日日記を付けさせる。 懐かしい友達がふっと訪ねてくれたりしたら嬉しいから、 あたしこの街で店を続けてるの。みたいなね。 誰の老後の話だかわからないが。 今日は初めて、都内にある某有名大学に行った。 そこの公開授業を受けるため、テキストを買いに行ったんである。 ……うーん、格調高め。 でも校舎の古さ的には(それだけは)うちの学校と いい勝負だったので、なんかホッとする。 すっごい都心にあるので、田舎者は行くだけで緊張である。 横断歩道太いなー、みたいなね。 買いなさい、指定されたテキストが重い。推定1.7kg。 ノートパソコンに近いくらい重い。 また腕が強化されてしまう、それも中途半端に関節のまわりだけが。 視力が、左右違うことが判明。 右の方が悪いのだ。右は1.5で左は15以上。 ……言うまでもなく『1.5以上』の間違いなんだろうけど、 結果表示の紙に15と書いてあったのでテンションが少し上昇。 ホントだったらすげぇぜ自分。それ以上に、すげぇぜ測定器。 |