昨日の日記にあったように、天才バカボンは名作だ。 基本的に私は、昭和に描かれた漫画の方が好きであり、 平成は……最近のことだからよくわからない。 というように、ものごころついた時点から年寄りならば 時の経過など怖くないということなんだが、 それはともかく今日も古いアニメの曲はいいなあ、ということ。 「にくいよ! このオ ど根性ガエル!!」 歌の途中に科白が入るのは基本的に「ちょっと……」と思う 私なんだが、この歌に関しては許す!っていうか負けたよ。 しかもこの科白の後に続く歌詞が「ドッコイ生きてる シャツの中」。 これは勝てないだろう。ただ生きてるんじゃなくて、ドッコイだぜ。 昔のアニメは発想がたいへん自由だ。 だってシャツの中にカエルだぜ。今風に言うと「あり得ない」。 でもその「あり得ない」が面白いわけだ。 みんなの心にずーっと残るわけだ。 ソルマックのCMにも今更起用されるわけだ。 今のアニメ界について詳しいわけじゃないけれど、 ここまで突飛な発想は最近生まれていないんじゃなかろうか? 突飛さを勇敢に発信した制作側と、普通に受け入れて、ヒットさせて、 再放送に次ぐ再放送で遠く離れた世代にまでその名を知らしめる、 その時代の視聴者たち。素敵でしょうがない。 やはり、新幹線がバンバン走ってエスカレーターが当たり前になって、 携帯電話やら写メールやらが普及して、 日本の国土も人の心同士の距離も狭まるにつれて、 “想像”という素晴らしいもう一つの世界は伐採されているんだなあ。 白黒テレビの時代に生まれていたら、 私もきっと黒い絵の具だけで極彩色の世界を描けたんだろう。 そしてそれを見る人の脳も、白黒の絵からカラフルな知覚が得られたことだろう。 技術ってやはりどこか悲しいもんだ、 なんでもできるのになんにもできないという点で。 だって感覚的に嫌だろう、寅さんが旅先からさくらに写メールしてたら。 一枚の葉書が、それも誰かの代筆で届くことに趣があるのだ。 学校では人々が忙しそうにしていた。 こんな光景が何ヶ月も繰り返される。 私は私で、色んな意味で基礎体力が低下している。 その理由は明白、春が近いからだ。 〆切が終わって気が抜けて、気温もわずかに上がって、 花粉が飛び始める頃になると毎年こうなる。 また夏に向けてどんどんだめになっていく気がして怖くて仕方がない。 だから無理にでも外に出る、無理にでも仕事をする。 くだらないことをぶつくさ考える暇を自分に与えないように。 |