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日毎月毎年毎に
2003年01月23日(木)

スポーツ新聞のでっっっかい見出しって、
電車の向かい側に座る人からも読めるように、っていう
隠れた優しさなのかな。と、ひょんなところに人のぬくもりを探す。

そう、今日は寒い。
ゼミ中(……。)に母親からメールが入った。
内容的には「大変よー雪!ゆき!ひゃー。」ということだった。
家を出たときも、学校の近くでも全く降っていなかったので、
どうせ例によって大袈裟かつ老婆心からの戯言、と思った。
それがどっこい、試しに早めに帰宅してみたら。
県境あたりからいきなり銀世界。
パッと見だけなら「北の国から」みたいな。
しかも、我が地元付近の乗換駅に降り立ったときの気温の寒いこと寒いこと。
学校のある県はやっぱり、微妙に南国だったんだ。
なんて大袈裟な路線で物事を処理しつつ、
あまりの寒さに駅ビルに避難。
やはり駅って場所も寒いもんだ。
駅ビルの洋服屋で冬物がセールになっており、
そこにあった服があまりに暖かそうなのでとっさに購入。
そして思わず、化粧室で重ね着る。
もともと薄着で出かけたのもよくなかった。
なんて即効性のある使い方。さっそく暖かい!
ドラクエで、新しい防具を装備して防御力を上げた時以来の感覚。
よし、今後はもうちょっと厚着をしよう。

帰宅するとやっぱり一面に雪が積もっていて、
まぁ北国の人からしたら大したことじゃないんだろうが、
でもうちの近所では一大事件。
ダルそうに雪かきをする人、べちょべちょ歩く小学生などを後目に
「はやさんが朝と違うもん装備してる」と言われるために帰宅。
すると妹に「その服とっさに選んだんだ?
じっくり選ぶ時よりセンスいいじゃん」と率直すぎることを言われる。
やはり世の中、考えない方が上手くいくのだろうか。

そして一仕事、ああ目上の人に文章を書くのはやっぱり慣れない。
仕方ないことなんだが、神経が疲れる。
同級生たちはよく「実験」というものをやっている。
手の空いていそうな学生に声をかけ、
「ごめん、お菓子あげるから実験に付き合って」とかいって
「この画像の印象はどうですか」「この記号の意味はわかりますか」
みたいな質問の書かれた紙束を手渡している。
私もそういう「学生みんなで」創り上げていく感じの研究風景を
繰り広げたかった。でも私のテーマの場合そういう方法じゃなくて、
「知らない目上の人に手紙を書いてご協力頂く」という
ちょっと肩の凝る手段が相応しいのだ。なぜだか。
まぁいいけど、私の精神年齢はやっぱり高め。
それに、人と違う歳の取り方をしたいものだ。とこのごろ切に思う。
私は同世代の女性と同じことを悩んで、同じことを考えていちゃだめだ。
「あーわかるわかる、」とかそういう連帯感に満足してちゃいけない。
ここまでこの路線で来たからには、突っ走りたい。

けど故・園山俊二氏の生涯を振り返っていた番組によると、
氏は大学を卒業後広告代理店に就職したが、3時間で辞めてしまったそう。
「会社勤めには向かない」、と思いすっぱりと辞め、
のちに新聞の四コマ漫画・ペエスケを描く。
私はそういうタイプでもないのだ。
会社勤めをしろ、と言われたらそれなりに勤めるだろう。
まずいもの食べろ、と言われたら仕方なく食べるだろう。
決まりを守れ、と言われたらだいたいは守るだろう。
そういう無駄な我慢強さが人生をダメにすることもある。
まあ我慢が足りない人も事実多いわけだから、
バランスも見極めも大変難しいけれど、ひとつだけ言えるのは
いわゆる優等生を育てているだけじゃ、地球は絶対にダメになるということ。
我々のような層がちょっとそれに当たるから、かなり悲しい。
いくつかのタガを外してやればもっと伸びる人も、いるんだろうなと。
それに伸び伸びと優れている人っていうのも現実にいて、そういう人はたいがい
どっかタガが外れたような人。バカと紙一重みたいな狂気も内包していたり。
……まあ私も、見る人から見ればそうなんだろうか。
いや、『紙一重』のどっち側なんだろう……?

そして、いつか何かで「これぞ!」と納得できるんだろうか。
具体的にわからないけど、全てのエネルギーがその時を目指している気がする。
自分の皮膚なのに痒いところがわからない感じ。
いやすぐに見つけたらつまらないし、それを追う過程が人生なんだな、と詠嘆。

なんでここでこんなに哲学的になるか?
その答えは見えている。そう、「〆切前だから」。
……すべては、軽い現実逃避なのだった。

なにはなくともパワフルにならなくちゃ。
温野菜とココアとビタミンと……、また似たようなメニューかい。
でも去年の冬よりはずっとパワフルに暮らせている。
年々、驚くくらいに改善している。
来年の私は今より強いはずだし、2年後の私はもっと強いはずだ。