学校に行く。 今日は普段よりも人口が多い。 風が吹けば桶屋が儲かるように、 人が集まればサッカーの話題が出てくる今日この頃。 機会をうかがって、私がかねてから提唱していた 「日本ラテン化現象説」(日本がラテンになりつつある、という仮説。 サッカーが流行ったり、女性の服装において露出度が上がったり、 ドレッドヘアーが珍しくなくなったり、気温が上昇したりしているのは 全てその影響)について語ってみると、微妙な反応だった。 なお他にも「大阪はイタリアに似ている」(ピザとお好み焼きは親類)、 「フランス語は北関東弁にちょっとだけ似ている」(口を大きく開けずに喋る点)など、 それぞれの地元の方から怒りのFAXが届きそうなことを考えていたりする。 うちの学校のいいところは、みんなやけに優秀なところ。 それも、全体的に健全な優秀さなのだ。 あまり病んでいないタイプの優等生が多いのにはびっくりする。 素直な欲求と高めな目標、暗黙の良識。 欠点は、いい人過ぎて損をする人が 多そうなところか(……などと、褒めまくってみた)。 でも実際、悪い方へ、暗い方へと気持ちが動いてしまう時に 「こんなこと悩んでる場合じゃない」と焦らせてくれる人が多いのは助かる。 走っても追いつけない人が多いのは確かだが、 そもそも人生は、走って誰かに追いつくためだけにあるものではない。 追いつくんじゃなくて、自分もどっか好きな場所へ向かおうと思えばよい。 どれだけ多くのゲームに勝つかではなくて、 どれだけ多くのものを見付けて好きになれるか、という価値観で 成り立つ世界も多分に存在していた。 その帰りに都会へ寄る。 地元も学校も決して都会ではないのに、帰り道に都会を通る不思議。 でっかいビルは片田舎にもあるにはあるが、 でっかいビルが広範囲に渡り林立しているのが(私にとって)都会だ。 そこで結構長時間うろつき、ようやく目的の資料を探し出す。 ピカピカの建物の中を一人でうろついていると、 落ち着かなくてダッシュで駆け回りたくなる。 でも、今ここで急にダッシュしたらよくないよな(※それは一応理解している)。 それどころか、私くらいのいい歳になったら、 ダッシュという行動じたいがもうだめなのだ。 だから今日は慣れない靴を履いてきて正解だった。 特にあの地下道、曲がり角のたびにすごいものが出てきそうでうずうずする。 帰りの電車で、傘をたくさん持った少女を見かけた。 傘をさして学校に行き、忘れて帰り。 別の傘をさして学校に行き、また忘れて帰り。 ……それを繰り返すと、学校に自分の傘が何本も溜まる。 いい加減もって帰ろう、ということになり…… たくさんの傘を持って帰ることになるのだ(経験済み)。 決まって、晴れの日(『荷物』が多くなるから)。 当時は全然気付かなかったが、電車の中でそういう人は珍しい。 ふつう傘はたくさん持って歩かないものだ(売っている人は除く)。 そして、大人はなぜかそれが恥ずかしいのだ(忘れん坊の証だからだろう)。 昔は全然恥ずかしいとも、不格好とも思わなかった。 むしろ武器が多くて心強いと思っていた(帰り道は闘いだ)。 「沈黙してさえいれば普通の人」にも見えるであろう、今の自分。 それが良いのか悪いのかよくわからない。 ただ今の状況は、「見るからに変な奴」ではないだけに、 内部ではよほどのポテンシャルを維持し続けなくてはいけない。 そうでないと変わり者として認定されない。 高いクオリティを保つという目標を前に、怖じ気づいているのかもしれない。 負けるな……負けじと。(……しかし、何の話だ?) |