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また定番の考察
2002年05月29日(水)

そんなこんなで(?)学校へ。

帰る途中に、太った方を見かけた。
それも、立て続けに何人も。
不思議なくらい、同じ電車に乗る人のうち太めの方の率が高い。

昼飯を食べてから帰ろうと思っていたが、
それをやめたのはそんな理由からだ。

コミュニケーション不足とはなんぞやという話になって、
そういや最近学校で(比較的)そんなに喋ってないな、
そんなに親しい人に会わないからかなあ、というと
親が血相を変えて心配してきた。
あんた、いろんな情報足りないんじゃないの。
時代に乗り遅れるんじゃないの。
また一人だけ浮いてるんじゃないの。
……そんなことを憂えたところで、なにを今更(はっはっはっ)。
わりと何年も生きてきた中で、そんなことはよくあることだ。
どうも上手く説明しがたいことではあるが、
ある程度距離を保ったままの人間関係の方が落ち着く、という場合も
往々にしてあるということだけだ。
よそよそしい、といってマイナスにばかり取るべからず。
誰とでも親しげに振る舞う人は、逆に本心が見えにくいではないか。

それに人と話して情報を取り入れるのは良いが、
相手がなまじ優秀だったりすると凹む確率が高い。
凹んでもなかなか平常心を取り戻せない夏場は、
人と気軽に接触しない方が本当は楽かもしれない。
でもまあ、それは損なのであまり気にせず暮らそうとは思うが。

別に人間が嫌いというわけではないらしい。
私は多分、工業製品そのものを本気で愛でることはできない。
そういうモノを本気で大事に思っているであろう人は他にたくさんいる。
生き物のように活動するもの、つまりキャラクターか何かの方が
興味を持つことが(今のところ)できている。
生きている感じのしないものには、多分そこまで必死になれない。
きっと壊れてもあまり哀しくならないだろう。
それがもし壊れた時に哀しくなるかどうか、というのは
重要度を測る上で意外に有効な基準な気がする。
そのジャンル、その作品、その要素への思い入れの強さが
後々振り返った時に大きな意味を持ってくるんだろうと思った。
今は精一杯、思い入れを持てるものを探さないといけない気がする。
それで映画を観なきゃ、音楽聴かなきゃ、本を読まなきゃと
ノイローゼになるほど思うのだ(面白いくらいの本末転倒)。

思い入れ。
「腹減った」という今の気持ち(いやむしろ腹持ち)を含めると、
思い入れがあるのは「金・飯・寝る・あとできればお絵描き」くらい。

……なるほど消去法だったのか、絵さえも(笑)
金と飯と睡眠を得るためにお絵描きをする。
困りごとのほとんどを、その公式で解決するのがいいのかもしれぬ。
チャートは単純なほど良いと思う。すがすがしい。

ということで、
某社から「落ちたよ」という一通の手紙が届いたことから
発展していろいろと考えたりした一日だった。
落ち込みそうなので妹と話す。
「ねえねえお母さん」と、最近喋り方が三瓶に似てきた妹。
なんか知らんけどメールを打つとき「〜けど」を全部「ケド」にする妹。
……こんな奴でも普通に生きている、それだけで勇気が湧くのだ。
まじめに生きちゃあ馬鹿を見るんかな〜あ。
それ以前に、私はまじめだったんだな〜あ…。
もう何が基準なんだか。世界は広い。