ちょっとずつでもいいから、収穫を。 受験の時もそう思ったように、また思う。 今日はあれをした、これをした。 ということが、これと言って見付からないような一日があり、 最近それが増えてきた。 授業を取らないだとか暖かくなってきて体調が悪いとか、 原因はごろごろと浮き出てくる。 まるで吹き出物が増えたことに気付く時のように、 漠然と「ああ、ヤな感じの生活習慣のあらわれだな」と思う。 小さくてもいいから、毎日成長したい。 成長した、という証しが欲しい。 ちなみに今日は「渡辺満里奈の部分モノマネ」を会得したくらい。 ……何か違う。(せめてもっと分かり易いネタを得たかった。) たとえば授業に出て話を聞くとか、 人と会って影響を受けるとかいったことを通して得られる 「あー今なにか吸収してるぞ」という感覚は、 本来の吸収する目的もさることながら「頑張っている実感」を 持たせてくれるという点で有意義だったのだ。 「頑張っている自分」を客観視することで安心感を得ていた 部分があったのに、それが最近あまり無い。 家で資料やネットで情報を集めていると、なんだか喉の奥がもどかしい。 こんなことしてていいんだろうか、という感じが消えない。 普段は「アカペラで済ませろ」とか言う人間なのに、 無性に「カラオケBOXで歌が歌いたい」と思ってしまう。 だから最近、用事がない日に学校に行きたくなる。 知り合いに会えば何か情報が得られるかもしれないし、 じっとしていると余計なことを考え始め、 またくだらない理由で落ち込んでしまいそうな気がする。 遠い道のりの途中で寄り道も出来るし、気分転換としても適している。 あー今の学校選んで正解だった、と近頃ようやく思う。 なにより凄い人が多い。地味に凄い人も、派手に凄い人もいて面白い。 受験や就職の時、どの道を選べばいいか迷うのなんて当たり前だ。 この道を選んで正解だったか、なんてことは後になってからも見えづらい。 人間万事塞翁が馬。 |