Deckard's Movie Diary
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| 2007年04月05日(木) |
バッテリー 約束の旅路 |
巷の評判の良さに観に行ってきました。なるほど!これは傑作野球映画の1本として後世に残るのは間違いありません。“バッテリー”とは野球に置いてピッチャーとキャッチャーの二人を指した言葉ですが、この映画は「人間同士は全てバッテリー」という考えに基づいてコーナーコーナーに素晴らしいコントロールで直球を投げ分けています。監督は滝田洋二郎ですが、ひょっとしたら彼の最高傑作かもしれません。兄弟、友人、父と母、母と息子、父と祖父、先生と教え子、それぞれがお互いの欠点を補い、励ましあい、時にはけなし合い反目し、そして助け合う。そんな当たり前のコトが、こんなに上手く収まった作品は珍しいんじゃないでしょうか。無駄な登場人物は一人も居ませんし、全てのキャラに存在感があります。そして、何よりも驚いたのは人生の全てを悟ったような祖父の言葉を義理の息子がうっちゃるところです。まぁ、厳密にはうっちゃっているワケでは無いんですけど、要はモノの見方は一つじゃない!ってコトです。「野球って、素晴らしい!」というセリフが多かったのは鬱陶しかったですが、大目にみます(何様だよ!)。子供がいる親は、その子供が野球をやっていなかっとしても、是非!一緒に観て欲しい映画ですね。
性懲りもなく岩波ホールへ観行きました。まぁ、ここでしか観られないので仕方ありませんわな(´―`)┌ ヤレヤレ… 映画は『約束の旅路』。ストーリーは1980年代に行われたモーゼ作戦(“ファラシャ”と呼ばれるエチオピア系ユダヤ人をスーダンの難民キャンプから軍用機でイスラエルに移住させる計画。1990年代にも『ソロモン作戦』という名で行われたらしいです。正直、全く知りませんでした(/・_・\)アチャ-・・)でイスラエルに渡った少年の半生を追ったものです。9歳のシュロモは生き延びるために母に言われるまま、キリスト教系エチオピア人である自分をユダヤ人と偽りキャンプを後にし、イスラエルの白人ユダヤ人一家の元で新たな人生を手に入れます。勉強不足のオイラには一枚岩のように見えるユダヤ人社会ですが、実際はそうではなく宗派や出身地で微妙な差別があるようです。ましてや“ファラシャ”と呼ばれる彼らは肌の色から“黒い人”と呼ばれ、イスラム系アラブ人は仕方無いとしても、ユダヤ系白人からも差別されます・・・
難民キャンプからイスラエルへ、養子になり、思春期を向かえ、最後に手に入れるモノとは・・・途中で何度もジワっと来て、最後は涙無くしては観られませんでした。一人の人間の半生をドップリと描いているので疲れますし、長いですが、全く飽きさせず、観終わった後には何故かホっとした気分に浸ってしまいました。ラスト・シークエンスは実話を元にしているらしいです。彼が生きてきた道程は想像を絶するモノで、オイラにはとても理解出来るモノではありません。仕事柄世界の国々へ行き、様々な国の人々と知り合いましたが、自分が日本人だというコトを忘れたことはありません。それは、ある意味、自宅があるような感覚に似ています。逆に言えば、それが無いと『住所不定』のような感覚で定職に就けないような後ろめたさを感じるのかもしれません。つまり、オイラは自分が日本人である(日本人として守られている)という最低限のアイデンティに胡坐をかいているのでしょう。監督のユダヤ系フランス人、ラデュ・ミヘイレアニュは“アイデンティ”に対しての明快な答えを上質なドラマの中で描き、一本の映画として必見の価値がある作品に仕上げました。この映画の全ては冒頭の言葉に集約されています。生母と別れる場面・・・そこで発せられる台詞。その言葉は今の日本人の多くが忘れているモノなのかもしれません。そう!それこそが“アイデンティ”なのです。存在証明とは、生まれも国も宗教も性別も何も関係ありません!それを手に入れる為には、まずは生きるコト。生き延びるコト。「行きなさい!生きて・・・」生母の言葉が胸に響きます。何不自由無く、ノホホンと生きて来たオイラにとっては耳に痛いです。オイラは一体何者なんだろ・・・(/・_・\)アチャ-・・
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