Deckard's Movie Diary
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2004年10月22日(金)  イズ・エー[is A]

「少年Aは無差別殺人を犯したワケですが、少年の心の闇には何が潜んでいたんでしょうか?児童心理学者の○○さん、どうですか?」「そうですねぇ、まず彼の家は厳格な教師の家庭なんですが、過剰な期待に応える為に、極度の緊張を強いられていた生活だったのが考えられます。その場合、得てして子供というのは〜云々」等とワイドショー辺りでしたり顔で答えたりしてるのって、どうなんでしょう?だいたい“過剰な期待”って、何処からが“過剰”で、何処からが“過剰”じゃないんでしょうか?勉強漬けになること自体、ひょとしたら子供自身が自ら望んでいるのかもしれませんよ。「親が子供に期待するのは当たり前だろ!」という言葉が劇中にありますが、多かれ少なかれ親なんてそんなモンです。「ウチのなんて、全然ダメだから」と言いながら、何処かで淡い期待をしてますよ。そんな、ごく普通の生活の中から、突然“モンスター”と呼ばれるような殺人鬼が生まれて来るんですから、何がどうなってそうなったのか?なんて、そんなもん誰にも分かりませんよ!平凡な男女関係の当事者同士だって相手の心の内を理解するのが難しいんですから、そんなに簡単に人の心の奥底なんて分析出来るワケはありません!この映画の評価されるべき部分のひとつは無差別殺人を犯した少年の内面を放ったらかしにしたコトだと確信しています。もちろん、ただ放ったらかしにしたワケではありません。彼の発する少ない言葉はリアルに胸に迫って来ます。もちろん、それだけで彼の内面なんて分かりませんし、製作者側だって表現しようとは思ってないでしょう。彼は“モンスター”なのかもしれませんが、生身の人間の部分も、未成熟な少年の部分も丁寧に描いているので、その存在感は十二分に感じさせてくれます。オイラだって心の奥底では誰にも言えない、他人から見れば“モンスター”のようなコトばかり考えている未成熟でヤバい人間です(っつーか、全ての人間の遺伝子の中に“モンスター”という遺伝子が元々存在しているんじゃないでしょうか?)。彼とオイラとの違いは行動を起こしたかどうかですが、それはちょっとした運命の悪戯かもしれません。この映画を受け入れられない人々はその辺りの曖昧な表現やラストの描き方が納得出来ないのでしょう。でも、とってつけたような理由とか、嘘臭いヒューマニズムなんて必要ありません。作品は登場人物同士の距離感が実に的確に描かれており、それは対象と真摯な態度で真正面から向き合っている証拠だと思います。個人的には、同じような年頃の息子を持つ父親として心に迫るモノがあり、特に最後に彼が父親に向けて発した言葉は忘れられません。そして、内藤剛志演じる父親が息子へ向かう姿は十分納得出来るだけに、悲しくてやりきれない気持ちで一杯でした。分からないモノは分からない・・・その潔さが、この映画に凄まじい緊張感を生んでいるのは間違いありません。邦画でここまで緊張感を強いられる映画は久々でした。音楽の使い方も、これ以上入るとクドくなるギリギリのところで仕上がっていますし、この藤原健一という監督の今までのフィールドはVシネマ中心だったらしいのですが、かなりの力量の持ち主だと思いました。今まであまり評価したコトの無かった内藤剛志でしたが、今回は本当に素晴らしかった!というワケで、見切れているような写真を据えたチラシのセンスの良さは作品にも反映されていた!ってコトです。また、自分でも驚いたのですが(苦笑)、ある登場人物が決着をつけようと行動を起こした時、結末が自分の望む形になるのを必死に祈っていた自分が居ました・・・・。観終わった時にゴツゴツした印象を残す映画ですが、時が経つにつれてダイアモンドの原石のような光を放つ作品と言えるでしょう。


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