|
Deckard's Movie Diary index|past|will
全米で公開されると同時に物議をかもしたメル・ギブソン監督最新作『パッション』。簡単に言ってしまえば(簡単に言うなよ)原題にある “キリストの受難”を追体験する為だけの映画でした。例えば、これからカソリックの信仰に一生を捧げたいと思っている人はこの映画を毎日朝晩に1回ずつ観てキリストの受難を敬虔な気持ちで受け止め、信仰を深める・・・とか、まぁ、そんな風に活用出来る作品とか言っちゃったりなんかして・・・す、す、すみませんm(_ _)m。というワケで、舞い上がる土埃から滴り落ちる水の一滴まで、作り手のテンションが漲る作品でした。監督メル・ギブソンのこの作品に賭ける異様な意気込みが全てのカットから滲み出ており、高評価をする人々がいるのも理解出来ます。しかし、オイラはキリストのコトを良く知っているワケでもありませんし、特に興味もありません。当然理解し難い部分も出てきますし、ジム・カヴィーゼル扮するイエスに感情移入するのも至難の業です。また、理解の及ばない部分がこの作品にどういう意味で絡んでいるのかも全く分かりません。結果、オイラには拷問シーンばかりが延々と続く作品にしか感じられませんでした。逆に、ここまでそのようなシーンを生真面目に見せ付けられると、作品云々ではなく教育的指導をされているような気分にもなってしまいました。それは、タバコを吸っているシーンを延々と見せられるとタバコを吸いたくなくなるような気分になるのと似ています。結局は、そんなトンチンカンなコトしか感じられなかったオイラにはハードルが高過ぎる作品でした。でも、信じないからと言って目は突付かないでね、知らないだけかもしれないでしょダッシュ!ε≡≡≡ヘ(; -_-)ノ
|