Deckard's Movie Diary
indexpastwill


2003年02月03日(月)  ボウリング・フォー・コロンバイン

 高校生くらいの若者が「どうする?」「やっちまうしかナイだろ!」こんな会話の後に、徐にテーブルに置かれる一丁の銃。そして当たり前のように手にする。ハリウッド映画で何度か観た光景です。まぁ、銀行口座を作るだけでライフルがもらえる国ですから、銃なんて見慣れているだろうし、幼少の頃から家庭によっては手になじんでいるモノなのかもしれません(苦笑)。オフ会で「チャカ持って行ってもいいの?」な〜んて、可愛いモンですよ(爆)“こんなアメリカに誰がした?”『ボウリング・フォー・コロンバイン』です。個人的には何故にアメリカがこれだけの銃社会になってしまったのか?という部分をもう少し説明して欲しかったですし(開拓時代から、排除するべき相手から身を守る(恐怖観念)為のモノってコトなんでしょうけど・・・)、それに話が少し散らばり過ぎた感じもしますが、製作途中で新たな事件も勃発して、まさに進化するドキュメンタリーとして素晴らしい作品に仕上がっています!結局、アメリカが愛して止まないフロンティア・スピリットは脅迫観念と背中合わせになっているワケですね。そのように考えると、歴史がなく伝統のない国は自分達の拠り所が無いだけに、結果、誰も信頼出来ない!ましてや肌の色の違う奴なんて!というコトになるのでしょうか?ヘストンのよぼよぼの後ろ姿が象徴的しているように、アメリカという国は存在自体が怯えきったアルツハイマーみたいな国家なのかもしれません。ナンだか哀れだなぁ・・・・。それにしても!カナダという国がアレほどまでの『大いなる田舎天国』だなんて知りませんでした。羨ましいかも〜。また、ルイ・アームストロングの♪この素晴らしき世界♪にのせて描いた映像が『グッドモーニング・ベトナム』のバリー・レビンソンはリリカルなベトナム戦時下の米兵をバックにしたのに対して、この映画ではアメリカの殺戮の歴史がバック映像でした。映画作家とドキュメンタリー作家、マイケル・ムーアとの違いなんでしょうか?まぁキューブリックの『博士の異常な愛情』のラストを思い起させるシーンでもありますが・・・。個人的にこの映画の好きなところは、監督のマイケル・ムーアのキャラクターもなのかもしれませんが、取材する全ての対象(否定派、擁護派問わず)に愛情が感じられるところです。しか〜し!クソ評論家の木村奈保子は「それなりに意味があるが、分析力は各国比較の数字的説明にとどまる。生身のヘストンの不快な怒りの態度を映像にし、知名度を利用したかのような、作り手のあざとさが気になる」とかホザいてるんですけど、どーしてこういうアホな輩がいるんでしょうか?バカ丸出しじゃん!ぶっ殺されたい?(爆)


デッカード |HomePage

My追加