| 2008年05月10日(土) |
それは、わたしのさが、であろう。 |
休日、車を運転していると、いろんな事をぼんやり考えるもので。 とりとめのない思考ってやつですな。 だいぶ昔になりますが、考え事をしながら運転していて、丸30分の間、どうやって運転していたのか覚えていなかったことがあります。やや混雑した道路だったので(だからこそ、信号待ちの間にトリップしてしまったんですよ)、前の車に合わせて動いたり、赤信号で停まったりしたはずなんですが……。 あの時はさすがにぞっとしましたね。それ以来、運転中では本格的な思考へのダイブは避けるようになりました。というか、勝手になりました。脳みそが勝手に学習したようです。 何事も経験が大事(?)
では、私がどんな事をぼーっと考えて運転してるのかというと――まあ、もちろん行き先のことだったり、目の前の道を歩いてる人間が危なそうだからとスピードを落としたりと、そういったことも多いのですが。 時に明日の予定だったり。 時に今日や昨日の仕事上の反省だったり。 時にネタ帳にメモするべき小ネタだったり。 誰だって一度は考えたことのあるような諸々のことですよ。 自分の場合、そんな事柄の一つで、「言葉」というものがあったり。
先に断っておきますが。 自分、あくまで民俗学モドキを専攻していた人間ですので、厳密に言えば民俗学とは縁がありません。 そして、言語に関しては壊滅的といってもいいぐらいです。特にスピーチに関しては。せいぜい、読む事はできても書くことができない。 典型的な義務教育英語で育った日本人です。 そんな人間がなんでネットでモノカキなんぞしてるかというと、まあ、いろいろ理由はありますが(遠い目) なので、これから妄想じみたことをつらつらレポートしますが、本当かどうかは知りません。あしからず。
さて。 本日、市内では有名な文房具店からミケリウスのノートをまとめ買いしちまった(一冊買ったらすごく気に入っちゃって、次にどれぐらい入荷するかわからなかったから、わざわざ出かけて予備をついつい)、そんな帰り道ですよ。 自分、先日仕事中に「無料」という言葉をド忘れしてしまい、「ただ」という言葉を使ったんですが。 いや、別にそれを咎められたわけではなく、自分的に「どうしてあの時無料がでなかったのかなぁ……orz」なんて思い出してただけで。 (多分、ミケリウスのノート(二千円分程)を買ったことが影響してるんでしょうが)
「ただ」って、なんだ???
ここから私の思考がチェーンコンボをかましはじめます。
「ただ」っていうのは、「ただ、○○だからね」って、念を押す言葉にもあるよね(「ただし」、「ただね」の『し』や『ね』、を省略しているだけ) ↓ この場合の「ただ」は「只」だけど、「正し」からきたんじゃないかね。 知らんけど。 ↓ ならば「無料(ただ)」とは、「正」か。 ↓ 「正」と「無」が同じであるとなると……この両者はフラットを意味するのでは? ↓ つまり、「無料」であるということは「料」が「無(フラット)」であると。「有料」とは「料」が「有(アップダウン)」するという意味では? ↓ つまり、「ただ」とは「何も移動せず」の意味であるかと。 そして「正」とは、「何も移動しない状態」=「正常」であるという意味では? 「世は並べて事もなし」=「ただ」 ↓ 「ただし」の「但し」(但し書き)は、「これから例外(限定)を語るよ」の宣言であるが。 「限定であっても世の常として使われていることを語るよ」と解釈できなくもない。
こんな事を考えていました。 今回は無事(とても重要)家に帰ってきてから、忘れないうちにネタにしようと思って書いておきましたが、結構この手の言葉遊び(?)をぽんぽん考えたりしています。 もちろん、考えた後は放置です。 いや、学者さんとかなら、こういう発想の裏づけを探しに行くのでしょうが、私は放置しっぱなしです。小説のネタになるならまだしも、日記のネタにしかならないし。先にもいってますが専攻違うし。
もしかして、パライノイアっぽいですかね?(苦笑) そんな貴方に、私の大好きな言葉(うろおぼえ)をプレゼント。
「SF書きの言う事を 本気にする奴があるか、馬鹿者!」
(ヒウラコウの「遊んでて悪いか!」より)
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