シールってあるでしょ。ペタリって張るヤツ。 自分、小さい頃からアレが苦手でして。 苦手って、嫌いってわけじゃなくてさ。
すごくおぼろげな記憶で、本棚に意味なく貼り付けた記憶があって、その本棚は未だに現役でシールまみれで実家においてあったりしますもん。 少なくともその頃は、シールって奴を貼るのが嫌いじゃなかったんだとおもうわけよ。 じゃあ、いつから嫌いなのかというと、おそらく、小学校に入るかどうかのころだと見当つけるわけですよ。
なぜシールが嫌いかって言うと、一度貼ったらそれで終わりだからなのね。
少ないおこずかいで買ったシールを、何かに貼り付けるでしょ。たとえば積み木とかにね。 そうすると、それはもうシールでもないし、もちろんそれまであったその他大勢の積み木でもなくなっちゃうわけ。 シールをはがすと、それはシールじゃなくて、大抵はがした勢いでクルクルまいちゃった小さな紙片であったり、破けたりしたときはゴミ以外の何者でもない。 はがされた積み木の方だって、それはその他大勢の積み木に戻れなくも無いけど、シールの跡がついた「シール使用後の積み木」になっちゃう。 そうなるとね。 自分はシールにも積み木にも可哀想になっちゃうわけですよ。 デザインセンスが皆無な分、さらにね。
でも最近、やっとシールを貼る事ができるようになって。
なぜかっていうと、シールを自分で作れるようになったからなんですよ。 今までもったいないと思って、シールなんて(台紙はあっても)宛名書き以外、ほとんど使わなかったんですが。
一月から書き溜めていたネタ帳が、一日見開き1ページの使用の末、使い切ってしまって。 その保存の為にシールを作ってみたんですよ。とあるサイトで、使い終わった手帳にブックシールを貼って管理してるという記事を読んだもので。 四月から6月までのネタ帳を用意した時に、保存用にシールを用意して、画像と日付を入れてペタリ。

これが使い終わったA6のカバーノート。 隅にシールをペタリ。もう今年いっぱいは、手帳カバーに合わせてこのシリーズの画像で統一するつもりです。ネタ帳だけに(笑) カバーノートの上にフィルムをかぶせて撮ったら、携帯のストラップやPCの雑貨やらが写りこんでますが……orz
シャーペンや消しゴムはこれからのカバーに差し込んで使うつもり。 大掃除の時に、もう廃番になってるらしい古いシャーペン(でもカッコイイと思ったのさ。我が家の誰の持ち物か知らないが、なぜか新品同様で私の机に紛れ込んでいた)と、ノック式の消しゴムです。 筆記用具類があまりに白くて淡白だったので、戯れに消しゴムの軸に小さく作ったシールを貼り付けてみました。
これが自分的に凄くカルチャーショックで。
(こんなことで「プロトカルチャー!」とかやってる自分もアレですが)
シールを貼っても、全然怖くない。可哀想じゃない。
なぜだろうと考えてみるに、「思い入れ税」の問題なのかと思い始めました。
昔は、シール一枚を大事に大事に使ってたわけです。 失敗したら、二度と同じ柄のシールに会えないかもしれないんで。 だって市販のものしかないし、いつでもどこでも手に入るって環境じゃなかったもんで。自分の子供時代って、近所にまだコンビニもなかったし。 大事にしすぎて、仕えなくなった=使う価値がわからなくなった。
でも今回貼ったシールは、自分で作ったシールなわけです。 失敗しても、また作ればいいわけです。失敗しても、まだ自分の手元に残っていてくれるんです。
そしたら不思議な事に、シールが優しく見えてきた。
この感覚、わからない人には本当にわからないと思うんですが、そうおもっちゃったんだからしょうがない。 どんどん貼っても、どんどん失敗してもいいんだよって感じ。
貼り付ける消しゴムの方もそう。 もう一本、別のデザインのノック式消しゴムがあったんで、気を楽にしていられた。
それに今のシールって、昔みたいに剥がしたときにバリベリって壮絶な跡を残しにくいし(もちろん、種類によるのはわかってますけど)
こんなに楽しくシールを貼ったのは、初めてってぐらいでした。 子供はみんなこういう気持ちなのかとびっくり。
そんなんで。 突っ込まれる前に言っておきます。 自分、頭の中がお子様です。はい。 そして小心者です。どうしようもなく。はい。
明日から新しいネタ帳で、ちょっと緊張してます。はい。
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