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2001年11月27日(火) 地雷を踏んだらサヨウナラ

1973年11月27日、
現在の日本で「映画俳優」と呼びたい数少ない役者である
浅野忠信が生まれた…のですが、
彼は、自分の誕生日のこの日がずばり死亡推定日に当たる人物を演じました。
それがフリーカメラマン、一ノ瀬泰造です。
奇しくも映画が公開された1999年、アサタダは26歳になりましたが、
一ノ瀬が亡くなったのも26歳だったとか。
で、本日はこの映画を。

地雷を踏んだらサヨウナラ
One Step on a Mine, It's All Over

1999年日本 五十嵐匠監督


突然ですが、私は浅野忠信が出演中の携帯電話のCMが、
実は異常に好きです。
街でばったり会った学生時代の友人の名前がどうしても思い出せず、
「記念」と称して撮った写真をその場で他の友人にメールで送り、
こっそり名前を聞くけれど、返信されたメールに書かれた
「鏑木(かぶらぎ)」の名前が読めず…という、アレですね。
実は、一ノ瀬泰造がもしも現代を生きる若者だったら、
あんな感じの人だったんではないかな?と思うのです。
(別に、一ノ瀬さんが漢字が読めないということではありません)
いえ、あるいは「お前、何て名前だっけ?」と、
率直に尋ねる人だったかもしれませんが、
歴史に名を残したその若者は、
そんなふうにごく普通の、あんまり物にこだわらなそうな、
そういう人だったと思うのです。

ベトナム戦火がカンボジアにも拡大した1972年、
25歳のフリーカメラマン、一ノ瀬泰造(浅野忠信)は、
民族解放軍クメール・ルージュの聖域となっている遺跡、
アンコール・ワットを撮ってやるー、
そしてピュリッツァー賞を獲るんだーと息巻いては、
ほかのカメラマンに呆れられているような青年でしたが、
その根性には、みんなが一目置いていました。
佐賀には彼の安否をいつも気づかう心優しい肉親がいましたが、
現地のコミュニティーにも溶け込み、
そうした戦乱とは別次元で、ニコンのカメラを片手に、
人生を、青春を謳歌しています。

初めて見たとき、何だか(いい意味で)非常に通俗的な感じがして、
びっくりしたのを覚えています。
が、それは私に、戦場カメラマン=命知らずの一匹狼みたいな
思い込みがあったからで、
きっとこの一ノ瀬泰造という人は、
自分の被写体となり得る人間というものをいつも愛する、
心優しいごくごくごく普通の青年だったのだと思います。
「写真が下手だから、体を張るしかない」
とばかりに無茶をして撮った彼の写真の数々は、
なかなか買い取ってもらえません。
無茶の余り、政府軍のブラックリストに載ってしまったりもしますが、
それでも撮り続けるのをやめません。

束の間、姉(羽田美智子)の結婚式のために日本に帰り、
その後舞い戻ったカンボジアで、彼は最後の賭けに出ました…

東南アジア各所を舞台にし、
欧米のカメラマンたちとも渡り合っているので、
日本映画なのに、「第三の男」もビックリの多国言語が飛び交い、
日本語の台詞が占める割合は10%以下だったそうです。
数少ない日本語のシーン(独り言めいたのもありますが)、
なぜかアサタダくん、その演技が最もぎこちなく見えました。
でも、それはそれで「照れ」みたいなものに
うまいことすり変わっていた気がします。


ユリノキマリ |MAILHomePage