気ままな日記
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2008年07月06日(日) 歩いても歩いても

 映画「歩いても歩いても」を観に行った。
田舎に帰省した姉弟とその家族、両親の紡ぐ2日間の物語だ。
年季の入った風呂場、古めかしい家具、建具の雰囲気。あった、あった、こんな風景……と、神戸にあった父の実家を思い出した。
 作品の中で、原田芳雄さん扮するおじいさんが、「わしが建てたうちなのに、なんでおばあちゃんちなんだ」とひがんでいたけど、そう言えばわたしも、そして多分いとこたちもみんな、なんの疑問も抱かずに、「おばあちゃんち」と呼んでいた。やっぱり食事を作ったり、細々とした世話をやいてくれるのはおばあちゃんだから。そしてついでに言うと、お年玉やお小遣いも、正確には、おじいちゃんの働いて得たお金なのに、おばあちゃんからもらったように思っていた。
 たった二日間のできごとを描いた作品なのに、家族それぞれの立場や、しがらみ、わだかまり、コンプレックスやらが無理なく凝縮されていて、それが不自然に見えないストーリ仕立て。
 見る人それぞれ自分の置かれた立場によって、親しみを感じる登場人物は異なるとは思うが、私の場合は、嫁の連れ子あつし君の目線に1番近かった。
 ひとくちに、里帰りといっても、母親の実家に行くのと、父親の実家に行くのでは、子供の心境は大きく違う。母親の立場が、実の娘か嫁かによって、リラックス度が全く違うのである。
 嫁として里帰りした場合は、母親の緊張感がそのまま子供にも伝わって、くつろいで遊んだりする気分ではなくなる。小姑がいればなおさらである。そう、あつしくんが、いとこたちからすいか割りに誘われても、「いいです」と礼儀正しく断ったのと同じように。母親の名誉を傷つけないように、粗相のないように、すべてにおいて遠慮がちになる。子供なりに気を使ってしまうのだ。
 そして、実の娘の子供たちのように、普段着で走り回ることもせず、まっ白い靴下と、ブラウスといった、「よそいき」の洋服を着たまま、おとなしく一日を過ごす。

 会話からにじみ出てくる、毒というか本音。こういうものをみんな内心抱えこんで生きているんだ、とちょっとホッとするものがあった。大きな事件が起きないだけに、ハラハラドキドキすることもなく、安心して浸っていられた2時間でした。




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