気ままな日記
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2008年02月16日(土) 事実を表現するということ

 オンラインの書評での評判がとてもよかったので、武田百合子さんの『富士日記』を読む。富士山麓に建てた小屋での生活が、可もなく不可もなく、淡々と描かれている。上中下巻に分かれていて、それぞれがかなりの厚味のある本だ。
 最近は明け方早く(といっても2時頃)に目が覚めて、そのまま朝まで眠れないというパターンが多いせいか、寝不足気味。そのためか、淡々とした描写が少しばかり眠気を誘う。こちら側の気分や状況によって、またおもしろく読める時もあるかもしれないと思う。

 柳美里さんのブログの、「長男虐待描写」が問題になっている。彼女がインタビューに答えたところによると、それは広義の「フィクション」だとか。彼女もある程度の反響を承知(期待)の上で記述したらしい。ひとつのできごとも、プロの作家が、心象風景を交えて書けば、こういうふうになるらしい。確かに読む側としては、興味をそそられるだろう。

 とりたてて何事もない日々のできごとを淡々と書いたものがいいのか、それとも人目をひくように、過激に書くのがいいのか、それは読む側の好みの問題。
 そばをすする音や、子育てのあれこれなど、プライベートな部分をどこまで見せるかは、えげつなさと品位を保つこととの綱渡りの上に成り立つ。あれこれと頭をひねりつつ、ぎりぎりのところにとどまり続けるのが、フィクションの醍醐味であり、むずかしさなのかもしれない。


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