気ままな日記
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2008年01月27日(日) おいおい…

昨日は、一向に治らないドライアイを治療すべく眼科へ行く。
 ここ数週間の冷え。暖房からの熱風を浴びるほどにしないと、ちっとも温まった気がしないので、皮膚は乾燥でぱさぱさ。その影響が目にも来た。
ただ単に目が乾いているだけではなく、表面が傷だらけになっているとのこと。目の拡大映像で主治医が説明してくれた。
 この症状は加齢によって、今後増していくらしい。
以前年上の友人が、具合が悪くて医者に行くと、なんでもかんでも、「加齢によるもの」として片付けられるの、と嘆いていたのを思い出す。
 その兆候は、近眼の度の強い目にまっ先にあらわれた。ちょっとやそっとのまばたきでは、涙が出てきた感じはせず、つい、目をぎゅぎゅぎゅっと絞るように閉じることが多くなった。
 さて目を潤す方法は? と考えて、効果てきめんだったのは、悲劇的なストーリーの組み立て。悲しい話の主人公に自分を仕立て上げる。涙が湧き出て、潤う潤う。目薬10滴分。
 気を良くしたあとで、ふと鏡を見ると白髪がちらほら。カッと目を見開きまばたきもせず、一本一本抜きだしたら、もうこれがやめられない止まらない。せっかくの”うるうる目”は、もとの木阿弥。

 老いを美しく、という言葉がある。
老いに美しいもへったくれもない。老いは老い。不便だし、見苦しいことが多くなるのは事実。ついつい独り歩きしている言葉に踊らされ、そうした事実に目を背け「忌み嫌うべきもの」として排除したくなる。
 それこそが問題。
「あーん、貴重な黒い髪も一緒に抜いちゃった〜」などと鏡に向かって、じたばたじたばたしながらそう思うのでした。
  


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