 バスカントリーの癒し"ルナ♪"
僕は無類の犬好きだ
マンションに移り住んで後 生き物と無縁の生活だが それまで僕のそばには必ず犬がいた
実家には今も シッポふりふりで迎えてくれる ゴン(雑種:11歳)がいる
先日あるテレビで サンフランシスコのペット事情と 動物保護の施設が映っていた
その映像は「警鐘」だった
目をそむけたくなるような 生き物にとっての現実があった
動物虐待と飼育放棄
幼児虐待と育児放棄 人間界にも同じ事が起きる昨今
問わなければならないのは 「命の重さ」だと思う
「飼う」という意識がある以上 人間は生き物を「物扱い」する可能性と 表裏一体である事を忘れてはならない
命の意識が希薄すぎる人が 生き物に安易に手を出してはならない
だから僕は ペットという呼称もあまり好きじゃない 愛玩物という呼称もおかしいと思ってる
ペットという言葉や愛玩物という言葉が 「命の重さ」を薄っぺらくしている気がする
僕らは生き物を飼うのではなく 生き物と「暮らす」のだと思う
何の事はない 親が子供を育てることを 人は「飼う」とは表現しないじゃないか
それと同じだ
自分にとって大切な存在なら 種を越えて「命の重さ」はすべからく同じだ
だから愛情をもって 時に厳しいしつけもいる
生き物には「牙」があり 生き物は言葉を持たない
彼らの思う事を 人は100%察する事が出来ないのだ 意思にズレが生じた時 生き物は「牙」を使う事がある
悪さまで許すような暮らし方を 人は生き物に覚えさせてはいけない
そして生き物が悪さをした原因が 人にある事を棚上げして 物を捨てるように放り出すなんて 言語道断の「人でなし」だ
命は生きて死んでいく
一部は別として 殆どの生き物は人より早く死んでいく
命の始まりと命の終わりを 見届けてあげられる人だけが 生き物と「暮らす」資格を持っている
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