何の事はない 生きる為に生きてるんだ それで構わないんだ それだけで誰かを幸せに出来る それだけで僕らは幸せつかんでる
僕は元気だよ
だから元気でね
フジタスミト「哲学の道」より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 僕は次男坊で
一時は 「勝手に一人で生きて行く」と思い込もうとした 都合良い時だけ人に頼っていながら 人の事より自分の事しか見なかった
今でも傍から見れば 大なり小なり似たようなものだろう
人に心配をかける 人に迷惑をかける 親兄妹においては心配も迷惑も 「悪いムスコでスマンね」などという 上っ面な良心の呵責もなかった
最近思う 「人は生きているだけで意味がある」 「哲学の道」はそんな思いから生まれた
親の気持ちが見えるようになるまで 人によって時間差はあると思うが 僕はおぼろげながら見えるようになった
同時にそれは 親の様々な生命力の衰退を見て 感じ取った僕がいるという事だ
親は子供に責任がある一時期がある 子供が独り立ちした時には 責任を肩代わりする力が衰え その束縛から解かれるものだが それでもなお 親は子供の為に何かしようとする 身を削ってでも何かしようとする
その身は確実に 僕らよりも先に朽ちる運命にもかかわらず
それは心配というより 「幸せでいてくれ」 「幸せになってくれ」 という願いだと思う
今たとえ 何の夢も希望もなく 日々を迷い安穏として暮らしていても
「生きている」というだけで 父も母も「幸せ」なのだ 「生きている」という事が 父と母の最低限の幸せを守っているのだ
「元気にしてるか」 これが親と電話で交わす口癖であり 「元気やで」と応える事が お互いの幸せと安心に結びついている
どんな生き様を選ぼうとも 求めて止まない夢を追う僕を 親が見て取れるように 一生懸命でいる事
ただ何気なく生きてしまっていない自分を 「生きている」という最低限の現実に 少しでも上乗せ出来ればと思う
僕が偉そうと承知しながら 伝えたい事はこれだけだよ
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