囚はれのシネマ日記
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映画『ゲルマニウムの夜』を見に上野の「一角座」へ。 「一角座」とはプロデューサーの荒戸源次郎が国立博物館内の敷地にたてた特設映画館。 この映画はここでしか上映されず、また6ヶ月以上のロングランを約束するといふ。 (この日は客席86のうち50ぐらゐが埋まつてゐたらうか。) ちやうど博物館の裏手、レトロな建築として知られる上野図書館の向かひにある。 1980年シネマプラセットでの『ツィゴイネルワイゼン』と同じ上映方式といふことになるだらう。 あのときは渋谷山手教会の裏に建てられたドーム型の特設映画館で見た。 日本映画のつまらなさにうんざりしてゐたわたしは、その映画館にも映画そのものの斬新さにも大いにショックを受けた。 荒戸源次郎、あの夢をもう一度の思ひなのだらうか。 花村萬月の『ゲルマニウムの夜』は芥川賞をとつた直後に読んだ。 まれにみる汚辱と悪徳の書だと感じた。 これがよくぞ芥川賞をとつたものだと思つた。 いくつかのシーンは忘れがたきおぞましいものとして深く記憶に残つた。 それが映画化されたとあつては見ないではゐられない。
見たあとの感想としては…複雑怪奇、陰陰滅滅、倒錯満喫。 映画『ゲルマニウムの夜』は小説『ゲルマニウムの夜』そのままではない。 でもその汚辱と悪徳においてほぼ原作の雰囲気を忠実に反映してゐると思ふ。 それほどおぞましくも気高いといふ意味で。 あるシーンは原作より妥協した表現だつたが、あるシーンは倒錯趣味割り増し気味のやうに思ふ(すでに原作の記憶はおぼろなれど)。 霏霏と雪の積もる白一色の原野、雪に埋もれた十字架の墓地、修道院内の静謐な気配、豚小屋、ぬかるみ、残飯、糞… その白と黒のきはだつ世界で繰り広げられることのすべてが暴力的であり冒涜的である。 どこかストイックな精神を感じさせるほどに。 極北の精神。
映画の上映が終はるとどこからともなくプロデューサーの荒戸源次郎と監督の大森立嗣があらはれて挨拶をした。 荒戸源次郎は役者だつたこともあつてサングラスにブーツといふダンディな出で立ちだつた。 新人監督の大森立嗣は舞踏家の麿赤兒の息子で「映画を撮らなければ犯罪者になつてゐたでせう」と紹介された。 それにしても、国立博物館館長もよくぞこの冒涜的映画の上映に場所を提供したものだと感心する。 この映画はすでに海外で相当に高い評価を得てゐるらしいけれど日本ではどうだらう? 詳しくはこちらをご覧あれ。
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