囚はれのシネマ日記
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昨日は中澤系歌集『uta 0001.txt』の批評会に出席。 批評会はたしか1年以上出てゐないので久しぶりだつた。 パネリストは秋山律子、笹公人、中沢直人、嶺野恵、の諸氏でみな「未来」の会員。 事務局はさいかち真氏、司会は黒瀬珂瀾氏。 出席者は岡井隆、佐伯裕子、花山多佳子、日高尭子、斉藤斎藤、の諸氏をはじめとして20名ぐらゐだつたらうか。 若い歌人たちに衝撃を与へた歌集として話題になつたわりに出席者が少ないことは意外だつた。 もつともわたしの経験から言へば少人数の批評会の方が充実してゐたことが多いので、これはこれでいいと思ふ。 少人数の批評会では出席者すべてに発言が求められるので、パネリストの発言を拝聴するといふ雰囲気ではなく、緊張があるのだ。
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
歌集の冒頭に置かれたこの歌をめぐつてやはり色々な意見が出た。 「反転した世界」「発話者は誰なのか、作者なのか?」「ロボットの声」。 わたしには作者が世の中へあてた素朴な挑戦状としか思へなかつた。 つまり作者は「快速」で通り過ぎる存在であり「理解できない」大衆は下がつて見てゐなさいよ、といふ言挙げではないかと思ふ。
この歌集には物や人のリアルな感触がうすく抽象的であるとほとんどのパネリストが指摘してゐた。 またこの歌集にあまたある現代思想のタームや思想家の名は表層的に使はれてゐるに過ぎないのではないか?といふ発言があつた。 どちらについてもわたしは同感だ。
でも1970年に生まれ1990年代に青春を迎へた世代の感受性といふのは、この歌集に典型的に表現されてゐるんだらうか? わたしにはさうは思へない。 ここには風も吹かず花も咲かず恋のときめきも、つまりいつさいの可愛らしく香りのいいものが存在してゐないがごとし。 高度に情報化された世界で希望も愛もなーんもなく、欲望と絶望だけがある。 やだよそんなの。 でも中澤系さんに見えてゐた世界といふのはこれなのだ。 だとしたら彼は自分の未来を予見してゐたのではないだらうか? 強制終了されてしまふ歌人として未来の自分の姿を。
病床にある中澤系さんに変はつて妹さんが最後に挨拶をされたのだが、それは嗚咽をこらへながらのものだつた。 この歌集は作者のたどる運命までも象徴してしまつたやうな怖い本なのだといふ思ひは深まつた。
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