囚はれのシネマ日記
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作家の堀田善衛はガリシア地方の山村、グラナダのアルハンブラ宮殿の見える丘、バルセロナの郊外に住んだといふ。 スペイン好きが高じてそこに暮らしてしまつたのだ。 『ゴヤ』といふ4巻からなる本を書いてゐるけれど、時間がないのでそれは読んでない。 そのかはりと言つては失礼だけれど中丸明さんという人の本を2冊読んだ。 『スペイン ゴヤの旅』と『絵画で読む グレコのスペイン』。 やはりマドリッドの郊外に住んでしまつた人だ。
堀田善衛は芸術家つぽい格調のある文章を書くけれど中丸氏はそうではない。 どちらかと言ふと下半身に照準を合はせてスペインの歴史を語つてゐる。 つまりスカトロジー満載の文章だ。 たとへばゴヤの生家には便所がなかつた。 ゴヤの家だけではなく、どの家にも、首都マドリードにも家々に便所などはなかつた。 真ん中に穴のあいた椅子の下にバケツを置いて排泄し窓から往来にぶちまけたそうだ。 (フランスでもさういふことをしてゐたと読んだ記憶がある。) そしてこの排泄物を放し飼ひにされた豚たちがせつせと食べ、やがて彼らはスペイン名物ハモン・セラーノ(生ハム)となる。
近代以前の街の臭気がぷんぷん匂ひたつやうな文章。 おまけにスペイン史上、あつたであらう重要な会話の部分をなぜか名古屋弁や高知弁で記すのだ。 たとへば洟たれ小僧ゴヤが豚の交尾を描いて神父さまにほめられたとき。 「お、おらは行ぎてゃあだよ、神父さま。画描きになりてゃあだ。でも、お父っつぁんが、画描きじゃ飯は食えねえって反対(はんてゃあ)しとるで、だちかん(ダメだ)だぎゃあ」といふ具合。 名古屋弁つてじつにやかましいんだわ、と思ふ。 この人の生まれはソウルだけれど、名古屋で育つたんではなからうか?
しかしふざけながらも歴史のポイントはきちんと押さへてゐるのだから感心する。 なかでもいたく感心したのは、著者のつぎのやうな格言に出会つたこと。
「旅は道づれ デブは股ずれ」
くだらないと黙殺する方もゐるでせうが、わたしは痺れてしまつた。
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