| 2002年12月10日(火) |
それは救いのコトバか? |
決して、人と上手く付き合えない。というタイプではなかったと思う。
特別良くも無く、悪くも無く。
普通に。
合う人もいれば、合わない人もいて当然。
私が好きでも、同じだけの好意を相手から受けられるとは限らない事も知っている。
普通に。
社会に出てバイト時代も含め4個目の職場。 この業界は正社員になるのが大変で、バイトや派遣などで食いつなぐ。 私も今の職場で正社員に拾われた口。
近年、就職率が下がっている中で、まぁラッキーだった方だと思う。
そういう気持ちがあるから、今まで以上に頑張ってきたと思う。
一年間で契約が切れてしまう職場じゃないし、 数年間契約があるけれど一人暮らしが出来るほどの収入はもらえない職場、というわけでもない。 ココは、一応、終身雇用が検討できる会社だった。
いられるならば、ずっといたい。働きつづけたい。と考えていたから、 今まで以上に、人付き合いは気にしていたと思う。 そんなに大きな会社じゃなかったから余計に。
でも。
いったい、 イタリア製のシャツを着て仕事をしている人がどのくらいいるんでしょうか。 社長令嬢がどのくらい仕事をしているのだ。
社長と言ったって、それこそ大会社の人から中小企業まで。 細かく言えば、個人商店も社長だ。
だから何?
父親が普通のサラリーマンじゃいけないの?
外国製のシャツを着て、ブランド物のスーツを着て仕事をする。 そうじゃない人は下賎の生まれなんでしょうか?
普通は、ピラミッドの上部にいない人の方が多いと思うのですが? 違うかな。
たとえば。
私が何かをして、くだらない人よと言われたり、下品だといわれるのならばまだわかる。 というか、人それぞれの判断基準があるでしょうから、その枠に入らなければそう思っても当然でしょう。
だけど、「どうせね」「あぁやっぱり」というのは何だろう?
そんなのは、くだらないし、普通じゃない。
第一、私を見てもらっていない気がするし、 何より、 人が人を見下したり批判・判断したりすることに意味があるのか?
私の上司でもあるまいし。 上司ならばわかる。 部下がきちんと仕事をしているかどうか判断し、管理するのが仕事だから。
でも、彼女らは何?
普通でいるのがどういうことか。 普通であればいいのか?という問題もあるけれど、 少なくともうちの父親はまっとうに仕事を勤め上げてきた人だし、 細かい事言えば、最終的には副社長クラスの位置まで行きましたよ。 だけど、それが何?
私は、わたし。
今まで生きて、幼稚園に入園した4歳以来、ずっと私の回りには友達がいた。 同級生という有象無象に囲まれてずっとやってきたなかで、ここ数年間が最悪です。
それは友達ではなく、同僚だからかもしれないけれど。 単なる、本当に単なる知り合いの人。
でも、そうかな? 一緒に仕事をするのは「仲間」って言うと思っていた。 同じ会社にいて、助け合う仲間じゃないのかな?
この会社で、私の職種は私だけ。 責任者、私。 実行者、私。 だからこそ、何か合ったら私が努力不足ということになるのだけれども。
私の仕事は、取り扱っている物が物だけに、 今までの職場では「協力する・助け合う」というのが基本。
だからこの感覚があったし、 同じ職種の人に囲まれていたから「普通」と思っていたのかもしれない。
でも。 違うのかもしれない。 この感覚は、「普通」じゃないのかもしれない。
それが、ない。ここには。 ・・・と思ったけれど、でも、仕方が無いのかもしれない。 「普通」じゃないならば。
それでも。
人を見下して考えることしか出来ない人達。 自分が楽する事しか考えない人達。
に、見えてしまう。
噂なんて聞きたくない。 だけど聞こえてきた噂ではそういうことになっている人達。
目を見て話してはくれない人が、本当はどんな人かなんて判断できない。 だけど。
人目を避けてこそこそと集まり、誰かの文句を言う人達に良い感情はもてないよね?
語学力のレベルが上がっても、悪口しか言えない口ならば、 悪い点しか見えないのならば、人としてのスキルが落ちている気がする。 そこまで言うのは、やはり言い過ぎだろうか?
サービス業的職種についたせいか、もともと向いていたのか、 基本的にボランティアとか、サービスを重視してしまう。
お客さんであるクライアントに何を提供すれば満足してもらえるか。 これに限ると思っていた。
もちろん。
自分がすばらしく働いているのに足を引っ張られているなんて言うつもりは無い。 そこまで自分が有能だとは言わない。
どちらかと言うと、努力点をもらって帳尻を合わすタイプだし。 どちらかと言えば、段取り悪く鈍くさい方じゃないかな。
だけど・・・・このままでは、ウチの会社は早晩コケるだろう。 コミュニケーションが上手くいっていない。 私だけでなく。
助け合うということは、お互いに同レベルの力があって言える事だとも言える。 確かに、そう。
かたっぽだけが助けられてばかりいるのは、依存と言う。
もしも、彼女達にその気持ち依存されているという気持ちがあるのならば、 そういう事で、私やその他の周りの人と助け合わないのならば、 私にはその力はないと思われているということだろうか。
見くびられている? それとも、やはり能力不足?
人を勝手に判断しないで。と言いながら、人を評価している自分がいる。 サイテーな自分になる。
今日、個人的に参加している研究会があった。 終了後、忘年会をかねて食事するというので、久しぶりに食事も参加した。
ここ一週間の出来事が本当に辛くて、先輩の姐御に話を聞いてもらった。
「文句を言わせないためにも、私は倍働いたわ。 だから今、私にケチつけるひとはいないわよ」
彼女の職場は移動がある。 そのため、合わない人とも一緒に仕事を数年単位でする必要がある。
そうして勤め続けてきた上の台詞だ。
納得する。納得できる。 やはり、それしかないのだ。
姐御に話を聞いてもらいながら思い出した。 先日見た「ER 3rd」で、Dr.ベントンがインターンの学生に、 「黒人は、文句を言わせないために人の2倍働かないといけないんだ」 白人社会だったアメリカで、医者として成功しつつある彼の台詞だからこそ重い。 彼の影ながらの努力が見えてくる。
この会社で半分近くの人とは、挨拶以外交わしたりしないけれど、 少なくとも、その他の私を取り巻く世界の中には、 この研究会の先輩達のように、この分野で名をあげたり評価をされている人がいて、 たくさんの尊敬に値する人がいる。
そして、そういう人とは上手く付き合えていると思うから、 自分が、全く、他人と交流できない人間ではないと思うことにする。
そういう人達は、今までの私の働きぶりを見て判断してくれているから。
自分がダメな人間だと思いこまされてしまう時点で負けている。
負けないで、自分なりの仕事をし続けていれば、いつか、きっと。
|