ひとりアライグマ同盟バナ 朶話事 たわごと

目次最新来し方行く道


2004年09月01日(水) 「マークスの山」

合田さん、一個目読了。

一昨日深夜3時半まで読んでて、
昨夜は12時半で挫折。
今朝、始業3分前まで頑張って読み切りましたよ。
読み終えれなかったら15分遅刻するつもりでした。

この長さをこんなに意地で読み切ったのは、「屍鬼」以来かもしれません。

***

本日読了の本

・高村薫「マークスの山 上下」講談社文庫

 警察が、必ず所轄同士仲が悪くて手柄の取り合いばかりしている
 というのがなかったとしたら、
 日本の警察/刑事小説の何パーセントが無くなっているだろうか?


 高村薫の名は昔から知っていた。
 でも北村薫と名前の区別が付かない程度にしか知らなかった。
 区別は付かなくても写真の判別はついていた。
 その写真を見るといつも眉間に皺寄せたおばさんで、
 いかにも堅物さん…という感じで、作風もそんな風だと思っていた。
 ハードカバーから文庫に落す時、常軌を逸した書き直しをする…
 という噂も聞いた。
 主人公の名前以外、全く別の話になる時もある…という噂すら聞いた。
 最初から取っ付きにくいと思い込んでいたんだから、
 青様が熱く語ってくださらなかったら、まず絶対に読まずじまいだったと思う。


 警視庁捜査一課第三強行犯捜査班七係を見ていると、
 どうやっても漫画「PS羅生門」とダブってくる。
 あんたら絶対に前科者だろう?! と思いたくなる程
 (でも前科者だったら刑事なんかなれない(と思う)から違うんだろうけど)
 揃いも揃って突き抜けちゃった個性ばっかりの羅生門署と
 どっかダブる程、七係の個性は立っていると言える。
 あれは確かに弄り甲斐ありそう。
 いや、七係は誰も前科者には見えないけどね。
 そして羅生門署と同じくらい、みんな仲が良いんだと思う。
 個性がぶつかってしまう時、どうもいがみ合ってる様に見えても、
 みんなそれぞれ、その個性を尊重しているんだと思える。


 と言うわけで、以下、ネタばらし犯人ばらし感想なので
 未読で、ちょっとでも今後読む可能性のある人は絶対に読まないで下さい。
























 最後の最後まで読んでも判らなかったのが、水沢の動機である。
 ずっと最後の種明かしを待ち望んで、肩透かしを食らった。

 蛍雪山岳会側の動機は極めて判りやすい。
 貧富の差と権力とおもねりとシガラミと義理と保身が
 全てを説明する。

 けれど、一番のキーパーソンたる水沢の動機はどうしても判らない。
 可能性はいくつかある。
 それは「福澤諭吉が一万枚」でも、
 真知子への思慕の情でも、
 一種の復讐でも有り得たかもしれない。
 ただ、考えられるどの動機を取ってみても、
 水沢、否、マークスの原動力と成り得るには弱い気がするのだ。

 一番考えられるのは「福澤諭吉が一万枚」なのだが、
 「福澤諭吉が一万枚」の夢想のきっかけとなったスリとの生活は、
 代官山の後なのだ。
 けれど、唐突にやってきた明るい山は代官山から…となっている。
 遺書の存在がマークス発現の原動力になったのだとしたら
 それが強請の計画であり「福澤諭吉が一万枚」の
 実現のためとしか考えられない。
 いつに無い明るい山が降ってきて3年近くも経てから
 「福澤諭吉が一万枚」が夢想されるというのは時期が合わなくなるのだ。

 次に真知子への思慕の情だとして、
 マークスの計画が真知子にどう関わっているのかが判らない。
 生活の手段としての《お金》にほとんど意味を認識していない水沢にとって、
 真知子のために大金を…というのはどうも考えにくいのだ。
 「金があったら、真知子は何を〜」というのはあるのだが、
 真知子への思慕の情がそれ程大きかったのなら、
 真知子が撃たれた時、もっと別の行動をとっていても良いのではないか。
 ましてや真知子は死んでいない。
 その真知子を捨てて山に入ったのは何故か。

 そして、一種の復讐…という線。
 しかし、それは何に対しての復讐なのか。
 取り敢えず本文に復讐という単語は出てこないし、
 頭の壊れた少年を虐げ続けた者たちへの復讐というのも、
 強請の根拠としては弱い。
 両親が心中した晩、山中をさ迷い歩いた時に蛍雪山岳会とどこかで遭遇し、
 そこで何かあった…というのであれば、また話は別だが、
 そういう記述は記憶に無い。

 結局、水沢の、またはマークスの原動力と成り得る程強い何か…
 というのは見えてこないのだ。
 マークスは結局何がしたかったのか。
 その明晰さと敏捷性は何だったのか。

 一酸化炭素中毒による脳の欠損…というのを、
 動機の不透明さの理由にして欲しくはない。
 だって、水沢を《彼》をそしてマークスを、
 あれほど書き込んでいるのだから。
 そういう意味では、心中と野村殺しの時期がほぼ同一だった…という事実も、
 もしかして水沢少年と蛍雪山岳会は至近距離をすれ違っていたかもしれない、
 という事も、全く本筋には関わらないまま終ってしまっている。
 勿体ないと思うのは私だけか。

 ラストは綺麗だが、水沢の動機が見えない…
 それだけが、否、それ故に、物凄く消化不良なのだ。


 最後に、
 個人的にはマークスの病理がキャラの本質になっているのは好きではない。
 それを動機や原因にして欲しくない。
 だからこそ、その動機をもっとキッチリ描いて欲しかったのかもしれない。


 この辺り、ハードカバーにはもっと別のことが書いてあるのかもしれませんが、
 対比読みするだけの根性はなさそうです。


目次最新来し方行く道
 mailhome@sub_racoonbooks/moviephoto