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なんというか
今更にしてまだ諦めていないというか、未だに期待している…というのが やはりいつまでも理解できずにいる。
もうダメなのだと、多分半ば知っているのに、 今回もイマイチだと毎回言っているのに、 それでもきっとまたいつか以前のように…と言い続けている。
なにがあってもこれからもずっと… とか言うけれど、 でも毎度イマイチだイマイチだと言うのなら、さっさと見切りをつけろよって思う。 それをズルズルと惰性で続けるから、結局勘違いさせることになるんじゃないのかな。
勘違いさせてそれで良いと思わせているから、ちっとも良い方に行かないんだと思うのだけど。 それって違うのかなぁ…。
私って冷たいのかもしれないけど、 毎度毎度イマイチなぁ…というのを見てると、 いい加減見切れよ!って、ホント言いたくなる。
多分ね、ここは見てないと思うので書きつつ、 そういう私も、そんなのもう見なきゃ良いのかもしれないね。 見てるのは知らんだろうから、同じ伝で勘違いはさせてないと思うけれど。
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昨日読了の本
・橋本治「ひらがな日本美術史 4」新潮社
「風神雷神図屏風」って、二種類あるんだって、知りませんでした。 私は俵屋宗達の方が好きだなぁ。 象とか獅子とかの存在感も好き。 こんな風に表現できたらどんなにか自由だろうって思います。
本阿弥光悦の「舟橋蒔絵硯箱」には感嘆です。 こういう遊び心ってすごく好き。 欲しいなんて言っても意味無いけど、でも欲しい。 自分もこういう遊び心で何か創ってみたいものだと思う。
桂離宮も行きたくなりました。 一ヶ月前に予約しなきゃならなくても、いつかきっと見に行こう! だってそんなにも調和のとれた“へんさ”なら見たいもん。 絶対的なセンスの良さって、やっぱり見るべきだと思うもん。 作為を作為と思わせないセンスってのは、憧れだよねぇ。
それから、大津絵の可愛いのが一枚と、懐月堂安度が一枚欲しい。
絵や彫刻を見て、好きだな、欲しいなって思えるのってやっぱり嬉しい。 判りやすさというのが良いかどうかは一概には言えないけれど、 でもよく判らなかったものの見方の一面が見えて、 それが好きだという感情が生まれるのは新たな発見でもあって。
あまりに素晴らしいものを見過ぎてしまうと、 自分自身から湧き出すものをどう表現して良いのか解らなくなる… という欠点はあるのだけれど、 それでもいろんなものに興味が出てくるのは、 おそらく肥やしになるものだと思うから、それはそれで良いのかな。
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これを連載してる芸術新潮をチェックしようと思ったら、 今月号がちょうど連載10周年100回記念特集号だったので、 思わず買ってしまった。
こうしてまた何かを探して行く。
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本日の映画館案内欄
○○座 陰陽師II 本日 日本語字幕付き
字幕付き? 日本語、の?
聴覚障害者のため… なのかな? こういうのは初めて見た。
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