過日の後記にも書いたのだが、自分用にと 甘いものを買うことは殆どなく、今では外で食べることもないに等しい。 『おいしそう』とは思っても『食べたい』に結びつかなくなったのだ。
小さい頃は、多くの子供がそうだったように 甘いお菓子は大好きだった。 ただ“チョコレートやキャラメルなど歯にくっつくもの” “飴やガムなど口の中に長く留まるもの” “着色料や香料などの添加物がたくさん使ってありそうなもの” こういったものは、実母が買ってくれなかった。
・・・早い話駄菓子屋にある、子供が好きそうなものは大概ダメだったわけで 今思い返すと、家にあったものといえば リッツ・ギンビスのアスパラガスビスケット・サラダ煎餅・ピッカラ・ ハッピーターン・ルマンド・オールレーズン 冬場なら干芋や干し柿。あとは母の手作りのもの。 (たぶん他にもあったとは思うが、およそこんなところ。)
中学生になって多少買い食いが大目に見られるようになると 今までの反動からか、部活の帰りにコンビニで1リットルもの メロンソーダを飲んだり蒸しパン2〜3個平らげたり。
高校生の時は(形ばかりの)茶道部にいたお蔭で “お茶菓子”と称してお菓子大量買い。 一番ひどい時なんて月餅とコージーコーナーのケーキが 一人一個ずつ出てきたこともあったが 女子高生の恐るべき胃袋はそれらを全部平らげた。 もっとも顧問の先生がいなかったからできたことであり、 確かお作法そっちのけでお薄を点てては飲み放題をしたようにも思う。 私のカバンに森永のハイソフトが2〜3箱常備していたのが普通だったのもこの頃。 (そういえば昔はハイソフトって何種類かあったハズ!)
それらがパタリと止んだのは、おそらくこの直後 一人暮らしを始めて“本格的にお酒を飲み始めた頃”と合致し、今に至る。
なぜこんなことを書いたかといえば コンビニで見かけてつい懐かしくなり、買ってしまったから。
アーモンドグリコとハイクラウン。
何故か記憶にあるのだが、実母が買ってくれたとは思えないので
おそらく父方の祖父にでも買ってもらっていたのだろう。
しかしいくら懐かしくても、一度に食べられる限界はチョコをひとかけ。
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