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2005年12月05日(月) 第120-121週 2005.11.21-12.5 エディンバラの印象、ハドリアヌスの長城

先月25日(金曜)から2泊3日でスコットランドの首都エディンバラへの旅行に出かけてきました。

(クリスマス・マーケット)
一番の目当ては、エディンバラ城近くのTraditional German Christmas Market見物でした(オフィシャル・サイトはココ)。
エディンバラ市内では、クリスマスに向けて様々な催しが企画されていて、エディンバラ城の周辺にはスケートリンクが設けられていたり、移動遊園地が設置されたりしているのですが、その一角でドイツ伝統のクリスマス・マーケットが開かれています。
昨年、リーズのクリスマス・マーケット見物に出かけましたが(2004年12月27日、参照)、今回はそのエディンバラ版です。

規模も中身もリーズのマーケットと同じような感じでした。グリューワイン(暖かくて甘いドイツワイン、Gluhwein)を飲み、フランクフルトを頬張りながら屋台をそぞろ歩くのは、実に楽しいものです。
ちなみに、英国でもこの時期に暖かいワインを飲む習慣があります。こちらはマルドワイン(Mulled Wine)と呼ばれるのですが、今回、ジャーマン・マーケットの外でマルドワインの屋台が出ていたので一杯試飲してみたところ、コクのあるグリューワインと比べてあまりにあっさりした飲物で、一言で言って不味かったのですが、これは運が悪かっただけなのか、それともやっぱり英国風ということなのでしょうか。

ところで、英国内でぽつぽつと開かれているGerman Christmas Marketですが、意外にその歴史は浅く、10〜20年ほど前から出現し始めたものだそうです。キリスト教の伝統に根ざしたクリスマス・マーケットという年中行事は、英国ではヘンリー八世の宗教改革で根絶されてしまい、ドイツを中心とした大陸欧州で長年にわたって行われてきているものらしいのですが、近年になって英国に「出稼ぎ」にやってくるドイツ人が現れているようです(一部、英国流のクリスマス・マーケットが開かれている町もあります)。

(エディンバラの印象)
評判に違わぬすばらしい町でした。英国内で一度は訪ねる価値ありの町と言えましょう。
険しい岩山の上にそびえ立つエディンバラ城の偉容は、町のシンボルにふさわしい圧倒的な存在感があります。城から東側に1キロあまり真っ直ぐに延びるハイストリートは、土産物屋等がひしめき合っている賑やかな通りなのですが、エディンバラのみならずスコットランド全体の立派な土産物屋が軒を並べているので、各地方の中途半端な土産物屋に立ち寄るよりも、よほど効率的な買い物ができるようになっています。
城の北側は新市街であり、計画的に区画整理された町並みは欧州でも有数の美しさという評判とのことです。南側は旧市街であり、入り組んだ路地に昔ながらのパブやマーケットがあります。
エディンバラ城を中心とした歴史的風情をたたえた街並みは、景観の美しさのみならず、程よいエリア内に新旧両方の要素が併存している点から考えても、エディンバラ市街は観光資源として屈指の水準を有する町と考えられます。エディンバラの町そのものが世界遺産に登録されているのですが、頷ける気がします。

ところで、今年の夏に10日間に渡る濃厚かつ広範囲なスコットランド旅行を敢行した際、首都エディンバラだけをあえてコースから外しました。
理由の第一は、夏の一ヶ月間、エディンバラでは世界的に有名なフェスティバルが開催されているため市内混雑が予想されたことでしたが、二番目の理由として、泥臭い〈スコットランド〉の側面と現代化が進み洗練された印象のあるエディンバラとはイメージとしてマッチングしない感があり、これらは切り離して考えた方がいいのではないかという直観がありました。夏は、映画「ブレイブ・ハート」やジャコバイト(イングランドの名誉革命に反対して、スコットランド王家を源流とするステュアート朝ジェームズ二世の流れを汲む王位継承を主張する人々。要するにアンチ・イングランドの人々)の歴史に象徴されるような濃厚な〈スコットランド〉を感じてみたいという思いが強かったため、エディンバラを避けることにしました。
今回、エディンバラを訪ねてみて、何となくその時の直観が正しかったように思えました。エディンバラ城を中心とした美しい町並みが続くエディンバラは、スコティッシュらしい「暗い情念」とか「熱い思い」から距離を置いたクールな印象が強い町でした。

(ハドリアヌスの長城)
ロンドンへの帰り道に「ハドリアヌスの長城」に立ち寄ってきました。
紀元100年頃、ブリテン島に進駐していたローマ軍が、北方民族(現在のスコットランド一帯に居住していたピクト族)からの攻撃を防ぐために構築した防御壁で、建設を命じたのがハドリアヌス皇帝だったことからHadrian's Wallと呼ばれています。イングランド北部を東西に横断して全長が100キロあまりに及び、建造当時は幅約三メートル、高さ約五メートルの壁が延々と続いていたそうです。
現在は、最も保存が良いとされている中央部分でも長城の「痕跡」が確認できる程度なのですが、長城に沿って延びている自動車道路を走ると所々にビジターセンターが設けられていて、長城の概略や当時のローマ人の生活等に関する解説を見ることが出来ます。

ところで、「壁」はブロック状の石を積み上げて建造されているのですが、現在までの約二千年の間に風化・攻撃などで劣化したのに加えて、近隣住民などが持ち去ったことによって大部分が失われたそうです。石造りの家などを作る際、岩から切り出してきて整形する手間が省けるということのようです。確か、ストーン・ヘンジも同様に、遺跡の保存という考え方がなかった時代の近隣住民が持ち去ったり切り取ったりしたことにより、原型がかなり失われたと聞きました。そういうものなのでしょう。
今ではイングリッシュ・ヘリテージ(1984年に環境省から独立民営化されたイングランドの史跡保護のための団体)によって管理されており、世界遺産にも登録され、大切に保存されています。

この長城、古代ロマンに溢れた史跡ということになるのでしょうが、現在は壁の「痕跡」しか残っていないので、必ずしも見てびっくりするような代物ではありません。しかし、ハドリアヌスの長城は、ノーサンバーランド国立公園(Northumberland National Park)の南の端に位置しているため、なだらかな丘陵地帯が延々と続く光景がなかなか見事です。

(ロンドンからエディンバラまでの距離は?)
手元のロード・マップによると、ロンドンからエディンバラまでは413マイル(約660キロ)の道のりだそうです。
今回も自家用車での旅でしたが、往路に関しては、朝の10時にロンドンの自宅を出発してエディンバラ市内到着が19時くらいでした(途中休憩が1時間程度)。ブリテン島の東側を南北に結ぶ高速道路M1をロンドンから北上して、終点のリーズまでが約200マイル。その後、北イングランドのノーサンバーランド国立公園を抜けてエディンバラに至るまでは国道しかありません。空いているとは言え、どうしてもここで時間を取られてしまいます。

なお、復路では、上述のようにハドリアヌスの長城に沿ってブリテン島を横断し、ブリテン島の西側を南北に走る高速道路M6、M40を利用しました。M6の北端である北イングランドの町カーライルからロンドンまでは314マイル(約500キロ)あるらしく、約7時間を要しました(途中休憩が30分程度)。


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